桃太郎や一寸法師などのおとぎ話では、鬼退治のシーンが出て来ます。
おとぎ話の内容については諸説ありますし、学問的な研究もされていますので、どの説が正しいのかという問題は別にして、いずれにしても悪い鬼はやっつけられる役回りばかりです。
神話もおとぎ話も霊的な知覚者が何かを知覚したものが物語りになったのだと思われますが、この鬼という存在はどのようなものなのかと考えさせられることがあります。
地上の人間にとって鬼とは何者なのでしょうか。
僕にも分かりませんが、一つだけ想像していることは、地上の人間の都合を妨げる存在だということです。
地上の人間は自分にとって都合が良い事が全て善でその逆が悪なのですから、悪の象徴として鬼が存在している以上、それは人にとって都合が悪い存在だということになると思っているのです。
昨日も書きましたが、地上の人間同士であってもそれぞれにとって都合が悪い存在は悪であり、自分たちは常に善なのですから、相手を叩きのめす時の口実はいつも「正義」と「大儀」です。
地上の人々が唯物論に凝り固まって、どんどん邪霊と仲良くなり、己の「正義」と「大儀」を振り回す時に、高貴な存在は悪以外のなにものでもなくなるのでしょう。
そうなってくると本当の鬼とは誰のことを指すことになるのでしょうか。
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「大儀」や「正義」という名の刀は時には物質の日本刀よりも恐ろしいものに変わります。
他者の幽体を霊的に切ってしまうこともあるからです。
地上の人間は、簡単に他者の霊的状態を悪化させ、霊的に退化させることが出来ます。
ところが、一度霊的に悪化してしまったら、自然治癒することはほとんどないというのが現状です。
それこそ、人は何も考えず、平気で他者を傷つけ、最終的には地獄へと落としているということが珍しくないのです。
そして、それを実行する際に使うのが「大儀」とか「正義」とかいった名の念の刀であり、精神的に苦痛を与える言葉の刀なのです。
しかし、それを実行したご本人は、鬼退治をしてやったと自己満足に浸ります。
やるべき役割を果たしたとも思っているかも知れません。
本当に恐ろしいことです。
やはり、師の著書にあるように人類にとっての悪が登場しなければ、人類は救われないのでしょう。
それは地上の価値観しか考えない人たちにとっては最も都合の悪い存在なのですから巨悪と呼ばれるに違いありません。
人は、鬼退治をして自己満足を得る前に、己の内に巣くう本物の鬼をまずは退治すべきなのでしょう。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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