859th  祈る気持ち | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

先日、神戸の繁華街を仕事で歩いていると、とても小さなほこらずっと手を合わせて祈っている方を見かけました。

ちょっと離れたところからその方を見ていたのですが、かなり長い時間手を合わせていらっしゃいました。

何を願っておられたのかは分かりませんが、どうしても神様に叶えて欲しいことがあったのでしょう。

その切実な思いは遠くで見ていても感じることが出来ました。

地上の人は都合の良い時だけ、願いを叶えて欲しいと祈ります。

いつも書いている通りその思いは決っして神には届きません。

ご自身の守護霊や指導霊にさえ届かないのが普通でしょう。

それでも人は苦しくてどうしようもなく、万策尽きると神に祈ります。

霊的には無意味であり、場合によっては未熟な霊魂にそれが届いていしまうと最終的には地上においてもあの世においても不幸になってしまうにも関わらず、祈ります。

僕は、地上の人の苦悩を考えれば、それは極めて普通の行為だと思います。

このようなブログを書かせて頂いている僕でさえ、あまりにも苦しいと思わず、何とかしてもらえないかなあと考えてしまいます。

また、たまたま何かがうまくいくと、守護霊や指導霊の方が動いて下さったのかなと思ってしまいます。

それが事実であるかどうかは別の話として、地上の人間が、都合の良い時だけ神に祈るということはしょうがないことだと僕は思っています。


さて、今日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊をさぐる 弁慶と弟子 体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。


人は弱いのです。

そのことをきちんと認識しないで、人を貶めることばかり言って、何もかも台無しにしてしまう方がおられますが、おやめになった方が良いでしょう。

善悪などたかが地上の人間の判断に過ぎません。

もちろん、都合の良い時ばかり祈っているだけで、霊的に進歩向上のために具体的に努力しない方が救われることはありません。

しかし、人には救われない自由も幽質界の下へ行く自由もはたまた地獄に落ちる自由も与えられているのです。

僕としては、願わずにいられないようなつらい思いをされておられる方が、いつか霊魂学と出会い、何とか霊的に目覚めてもらうことを願うしかありません。

その意味では、僕も常に願ってはいるのです。

自分自身ではどうすることも出来ないことを僕も願ってしまっています。

本当に人とは弱い存在なのです。

そして、いつかはそれを乗り越えなければならない存在でもあるのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。

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