852th  邪霊の喜び | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

地上の人にとっては、地上で一日でも長く生きるということは極めて重要なことです。

しかし、幽体という身体で幽質界で暮らしている霊魂にとっては、地上で一日でも長く生きるということは全く価値のないことです。

長くても普通であれば100年も経たずに幽質界に入り、そちらでの暮らしは地上とは比べようも無いほど長いのですから、1年長く生きようが1ヶ月長く生きようがどうでも良いことなのです。

地上の人は、1ヶ月長く生きることに全財産、全ての人生をかけることが少なくありませんが、彼らにとって、死そのものにはあまり意味がありません。

従って、邪霊や未熟な霊魂は、地上の人間が死ぬこと自体が嬉しいのではありません。

彼らの喜びは、地上で人間が筆舌しがたいような苦痛を味わいながら死を迎え、幽質界の下へ入ってしまって自分たちの子分が増えることが嬉しいのです。

こんな風に書くと僕自身も死を軽んじているように思われてしまうかも知れませんが、それは絶対にありません。

肉の脳が肉の身体の維持を最優先に考える以上、潜在意識やそれ以上深いところにある意識はともかくとしても、表面意識は絶対に死にたくないのであって、何をしてでも生きたいのです。

その思いというものはすさまじいものなのですから、絶対に軽んじることなど出来ないのです。

但し、地上での生活が全てではなく、その後があり、その後こそがメインなんだと確信してはいます。

いずれにしても、これだけ地上でいろいろなことが毎日のように起こっていますし、地上で人間同士がいがみ合い、殺しあうことが邪霊は大好きなのですから、不眠不休で(当然のことですが)それが更に悪化するよう日々暗躍しているのでしょう。

人と言う霊的生命体の苦しみこそが彼らの最高の喜びなのですから。


さて、今日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊をさぐる 弁慶と弟子 体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。


なんでそんな下らないことを邪霊たちはして喜んでいるのだろうと不思議に思う方もいらっしゃるかも知れません。

しかし、不思議でも何でもないのです。

人は、気持ちがすさんでくると自分だけが不幸で苦しんでいるのが嫌になります。

自分自身の苦しみをどうすることもできないのであれば、せめて同じような苦しみを味わう人を増やすことによって、少しでもその苦しみを忘れたいものなのです。

常に道連れが欲しいというのは人という霊的生命体の特徴の一つのようです。

地上で普通に生きて、素晴らしいとまではいかなかったけれども、それなりに人生を全うしたと思って他界したら、幽体とやらの状態が悪くて、なぜか下の世界に入り、悪い霊魂に騙されたり、いじめられたりしているうちに、いつしか自分自身が邪霊と呼ばれるような存在になってしまった。なぜ、こんなことなったのかと叫んでも状況は悪くなるにせよ良くなることは何もない。

こうなった時に、人と言う霊的生命体は自分の道連れにする人を一人でも多くすることに全ての情熱を傾けるのかも知れません。

僕は自分自身のことを考えた時、霊魂学に出会わなければ、死後下の世界に落ちて、自暴自棄になって邪霊となって地上をうろつくことになっただろうと思っています。

僕自身も今後どうなるかは分かりませんが、全て紙一重のところで何かが決まり、その後その結果が大きく、大きくひらいていくのだと思っています。

表面意識の自由意思の権限は極めて強大ですから、何かのきっかけで高慢になったり、何もかも嫌になってしまって放棄したりする可能性はいつまでも残ります。

その意味では、このブログの更新はやはり僕自身のためにやっているのだということがよく分かります。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。

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