僕は小さい頃からコツコツと努力することがとても苦手で宿題などを家でやったという記憶がありません。
やりたくないことを無理矢理やらされるということが嫌で嫌でしょうがなかったのです。
しかし、クラスには必ずまじめにコツコツ勉強することが出来る子供が何人かいました。
ある時に、授業で織田信長は天才型、豊臣秀吉は秀才型、徳川家康は努力型だという話が出ました。
努力が嫌いな僕としては、継続して努力できると言うこと自体が、一種の天才じゃないだろうかと思ったことを今も覚えています。
その後、自分の人生設計においてどうしても必要だということについては、いやいやながら人並みの努力の真似事のようなことはしてみましたが、嫌なものは嫌と言うことで本質的な部分は変わることがありませんでした。
更にその後、運良く霊魂学と出会えることが出来て、霊的修行者となってからも、結局、ずっとその本質が顔を出し続けたと言えるでしょう。
努力が出来る人はある種の天才だと思い続けてきたのです。
しかし、最近は、少し考えが変わりました。
地上におけるいろいろなことはともかくとして、神伝の法を教えて頂いて霊的修行者として生きることは、誰にとってもすんなりいくことではないと思い始めたのです。
地上の人には、過去世や霊的カルマや今世での状況などが人によって全て異なります。
自分が一番きついと感じている部分において、他者が大きな問題としていない場合、なぜかそこばかりを見てしまって自分だけが非常に困難な状況にあると人は考えがちです。
ところが、実際には個々の抱えている事情というものはとても複雑ですから、誰もが霊的修行者として生きていくには何かを調整し、取捨選択をし、優先順位をつけながら、何とかしのいでいく必要があるように思うのです。
従って、霊的な修行においては、努力できる天才などいう人は存在しないと今は確信しているのです。
さて、今日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり 、わかりやすい霊魂学 、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 、霊をさぐる 、弁慶と弟子 、体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。
最近、特に思うことは、結局、自分自身の状況とどう向き合って、どう対策を立てて、前へと進むことを考えるかに全てがかかっているように思うのです。
神伝の法の偉大さが分かっていても、人は地上に再生された以上霊的カルマを解消し、霊的な進歩向上を目指して努力しなければならないと分かっていても、人は決して強くありませんから、肉の身体を使い、肉の脳で考えているとどうしてもくじけそうになってしまいます。
全ては自由意思です。
しかし、やはり人という霊的生命体は、霊魂の本質として、常に霊的な進歩向上を目指すべきでしょう。
そのためには、やはり工夫が必要だと思います。
その内容は個々によって全く異なりますが、自分自身の状況と正面から向き合って、何とか対策を立てていこうという姿勢こそが、高貴な存在が期待されることであり、まさにそれこそが霊的な修行そのものだと思います。
せっかく霊魂学を知った方には本物の幸せを掴んでもらいたい、まして霊的修行者となった方は個々の状況に応じてそれを貫いてもらいたい、単にそう願うばかりです。
全てが自己責任だからこそ、余計に強くそう思ってしまうのです。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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