756th  どう生きるか | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

「たった一度の人生、どう生きるかが最も重要だ。」とよく言われます。

己の人生を見つめ、どのように生きるのかが人間にとって最大のテーマだということでしょう。

しかし、そんなことは霊的な視点で見れば、どうでも良いことです。

法を犯したり、他者の自由意思を侵害したりすることは良くないとしても、それ以外のことであれば、どう生きようが、何をしようが、どんな職業につこうが、どんなファッションをしようが、どんなものを食べようが、どんな趣味を持とうが、誰と付き合うが、誰と別れようが、好きにすれば良いようです。

大切なのことは、何を信じるかです。

そして、信じた結果、具体的にどのような行動をするかです。

そうなるとおのずから、最優先をすべきことが絞られてくるでしょうが、それだけをして地上で生きていくことは不可能ですし、人にはそれぞれ嗜好や好みがあるのですから、他の大半の時間は好きなように生きれば良いのです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊を知るために 弁慶と弟子体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。


霊魂学の学徒としては、霊魂学を信じることが、本物の幸せをつかむ道だとブログで声高に叫び続けているのです、出来るのはそこまでが限界で、その先は全て個人の自由意思に委ねられます。

神霊や高級霊魂が、地上の人が何も知らないで、結果として最終的には地獄へ堕ちてしまう自由まで認めておられるのです。

たかが地上の人間である僕にそれ以上のことが出来るはずがありません。

仮に、間気の過度の不足で幽体と肉体が離れてしまっていて、このままでは近いうちに死んでしまうと分かっていても、ご本人が霊査を望み、霊術を望まれないのであれば、こちらから声をかけることすら出来ません。

それが身内であって、過去に霊査を受けたことがあったとしても、本人がそれを受け入れないのであれば、僕にはもう何も出来ることはないのです。

まして、僕よりも後から霊魂学を知った方に対しても、あるいは後から霊的修行者になった方に対しても、ご本人からの具体的な相談があればともかくとして、それがなければ僕が何かを申し上げることなどとても出来ることではありません。

人情と言う視点で考えれば、非常に冷たい対応ということになるのでしょうが、それが自由意思と自己責任というものです。

幸運なことに僕はあまりにも未熟すぎて、何一つ自惚れる要素と言うものがないおかげで、今までは何とか大きく道をそらさずに来れているようです。

しかし、今後は分かりません。

少しでも油断したら一瞬でやられるでしょう。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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