656th  信じたくない | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

霊魂学をより多くの方々に知って頂くために、是非一日一回のクリックでのご協力をお願い致します。哲学思想カテゴリーでトップ10入りをすることによって、かなり多くの方々に霊魂学を知って頂くことが出来ます。

   

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ
にほんブログ村   


以前にも書きましたが、僕の父は自殺しました。

何度か一家心中をしようとしたようですが、ギリギリのところで踏みとどまってくれたようです。

父が亡くなるその瞬間、僕はいわゆるむしの知らせというものを感じました。

大学の入学の件で失意のどん底にいた僕が、一人暮らしの部屋に帰ってくると1万円と電報が届いていました。

「スグカエレ」

当時は部屋に電話も無く、すぐに東京駅に向かい、新幹線に乗りました。

僕は、家族の誰かが亡くなったのだと直感していました。

父、母、祖母、妹。

祖母は当時それほど高齢でなかったのですが、普通に考えれば祖母だと思うところです。

しかし、僕には分かっていました。

亡くなったのは、父であり、死因は病気でも、事故でもないと。

新幹線の中で僕は必死に自分自身の確信に近いような直感を否定し続けました。

絶対に信じない。

しかし、むしの知らせ以前に、東京に来た父が家に帰る時、既に僕は父と会えるのはこれが最後かも知れないと感じてしまっていたのでした。

名古屋駅で新幹線を降り、家に向かった僕は最寄の駅に着いてから実家に電話をして、近所のおばさんが出た瞬間にやっぱりと思いました。

「○○ちゃん、えらいことになった。おばちゃんからは何も言えない。誰かが駅まで車で迎えに行くから、待っていて。」

はっきりと告げられませんでしたが、分かってしまいました。

直感が完璧なまでに正しかったことを。

それでも、どうしても信じたくありませんでした。

現実は残酷でした。

まもなく僕は父の変わり果てた姿と対面することになるのです。

あまりのショックに涙すら出ませんでした。
冷たくなった父の横に寄り添って寝ている妹の姿を見てしまったからです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊を知るために 弁慶と弟子体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。


地上での生活は時として余りにも残酷な現実をつきつけてきます。

この時に起きた悲しみの連続攻撃には本当に参りました。

それでも、僕は何故か生き続けました。

意味のない、虚構のような根拠の無い希望だけを糧にその後の辛い辛い2年間を生きました。

今もなぜあんなに惨いことばかりが続いたのかよく分かりません。

霊的カルマだったのかも知れません。

しかし、一番重要なことは、あのことが僕が十数年後に霊的に目覚めることが出来た、大きなきっかけとなったということです。

信じたくないと強く願ったあの現実は、どうあがいてもやはり夢ではありませんでした。

現実だったからこそ、僕は霊的修行者になれたと思っています。

地上の生活は苦しみの連続です。

しかし、それらの苦しみはご当人が思っておられるような不幸であるとは限らないようです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。