657th  修行 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

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何度も書いていますが、地上は最も霊的な環境が悪くなっており、更に日が経つにすれその状況はますます悪化していっています。

ところが、それが故にか神伝の法も示されているというのですから驚くばかりです。

下層幽界の霊魂たちや地獄のような世界に住む霊魂たちが好き放題出来るほど汚れてしまった地上に、神人になることも可能な神伝の法が示されているからです。

その霊的な差というものは、物質の質量では想像すら出来ないほどかけ離れているというのに、それが地上に同時に存在しているのです。

やはり、地上には秘密があるとしか考えられません。


ところで、イエス師が地上におられた非常に短い期間やその他のキリストがおられた期間、あるいはキリストに準ずるほど高貴な魂が地上にいらっしゃった期間というのは、何らかの霊的な修行法が弟子たちに示されていたと思われますが、それ以外の時代に修行をされた方というのはどのような修行をされたのでしょうか。

日本であれば、昔から禊法というものがあったようですが、霊魂学における鎮魂法のようなものはあったのでしょうか。

僕たちのように修行に関しては、恵まれた環境になかった方々が通常だったと思われます。

師を求めても本物の師に出会えることが出来ず、独力で修行をされた方々が多かったのでしょう。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊を知るために 弁慶と弟子体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。


昔は地上の霊的環境が今よりはずっとましだったはずですから、霊的に目覚めるということに関しては今よりは可能性が高かったと思います。

しかし、霊的修行者になりたくても、いったいどこへ行って何を習えば良いかという次の手が見つからず、そのまま挫折してしまった方が多いのではないでしょうか。

その意味では、今は環境がどうしようもなく最悪になってしまっていますが、何度か訪れるチャンスを生かせば、ネットという手段によって霊魂学に出会える可能性が少なくありません。

だからこそ、何とか霊魂学にたどり着いた方々には更にもう一歩踏み出して頂きたいと思うのですが、なかなかそのようにはいきません。

結局自由意思は、肉の脳が支配する表面意識によって最終判断がなされるからです。

たとえ、どんなに霊的な素質があろうとも、どれほど高貴な存在であったとしても、肉を着ている以上、表面意識が行動を起こさなければそれで終わりです。

幽体の意識や霊体の意識が表面意識を飛び越えて肉の身体に行動を起こさせることなど出来ないからです。

最近、僕は自由意思そのものよりも、最終的な決断をしてしまう肉の脳の恐ろしさを感じています。

結局、霊的トレーニングを行うか否か、トオゥ・ライ・シェイに参加するか否か、そして何よりも霊的な進歩向上を目指して、日々反省し、最善を尽くそうとするか否かは、全て肉の脳が決めてしまっているからです。

人という霊的生命体の本質と言うべき修行は常に肉の脳に決定権を握られています。

だから、求めよされば与えられんなのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。