627th  信仰もどき | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

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僕の母親は何か勘違いをしていたのか、霊的カルマの影響だったのか、理由はよく分かりませんが、スパルタ教育が素晴らしいものだと思い込んでいたようです。

スパルタ教育というのは今や死語ですが、要するに今で言えば児童虐待です。

訳の分からないことで怒られては、布団たたきなどの道具で殴られていました。

なぜか裸にして、家の外に出すのが好きで、寒い冬に家の外に出されたことが何度もありました

それが今も僕の霊的カルマとなっているか、或いは既に解消されたのか分かりませんが、いずれにしても教育と言うよりも何かのストレスの発散として行っていたと思われます。

もちろん、幼心にそのことを強く感じていました。

そのスパルタ教育やらもさすがに僕が成長して体が大きくなってくると自分の方がやり返される危険があるので、ぴたっと止みましたが、それは小学校4年生くらいまで続きました。

そのことで僕が今も忘れられないことがあります。

小学校4年生の時に、いつものように怒られて、正座をさせられて説教を受けている時に、母親が突然、「念○○○、念力○○○○、○○神通」という呪文のようなものを唱えろと言い始めたのです。

早くその場から逃れたい僕は、言われた通りに何度もそのお経のような、呪文のようなものを唱えました。

しばらくすると、当時住んでいた家から車で10数分のところにあるお寺のような新興宗教の施設に連れて行かれました。

その施設の責任者のような女性は、僕の顔を見るなり「あーだ、こーだ」と説教を始め、最後には「このままでは大人になったら癲癇を起こす。」と言われました。

僕は、特に何の興味もない説教だと思っていたのですが、なぜか、涙が出てきて止まらなくなりました。

それを見たその女性は、「この子は根は良い子だから、信仰すれば大丈夫。」というようなことを言いました。

僕はその説教の内容が心に響いたから涙が出たのではなかったのですが、相手は自分の言葉が心に響いたと思って満足したようでした。

この出来事が僕を宗教嫌いにさせました。

何とも馬鹿らしい茶番で、小学校4年生でしたが、宗教とは詐欺まがいのものだと確信したのです。

母親は伊勢神宮に縁のある生まれのためか、何故か神様仏様が好きなようで、神道を貫けば良いのに、何かしら宗教的なことにずっと関わっていました。

しかし、徹底したご利益主義、しかも物質的な豊かさを求めた信仰もどきだったので、熱心な信者になるということは一度もなく、いろいろとつまみ食いしているような感じでした。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊を知るために 弁慶と弟子体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。


スパルタ教育という名の児童虐待はともかくとして、この事件のおかげで僕は宗教団体を渡り歩くというリスクを負うことなく、霊魂学に出会うことが出来たということも事実です。

宗教が大嫌いになって信者になるということが無かったとともに、あの時流した涙のわけを知りたいという気持ちもどこかにあったような気がするからです。

その後、あることから霊能力者と言われる方々との出会いがあり、最初は当然の如くご利益的なことを求め、それが全く無意味なことを経験によって思い知らされ、霊的なことから距離を置き、その種のことにご利益を求める気持ちがあまり無くなった時に、タイミング良く霊魂学に出会うことが出来たのです。


ところで、あのスパルタ教育には霊的にはどのような意味があったのでしょうか。

僕が地上に再生される前に守護霊の方はある程度予想をしておられ、その霊的な意味もご存知だったはずですが・・・・・。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。