626th  自己犠牲 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

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肉の維持が最優先される地上での生活において、本当の意味での自己犠牲を厭わないということはとても難しいことだと思います。

特にそれが、自分の生命や生命を維持するために必要なお金を犠牲にするとなると簡単に語ることが出来ません。

高貴な存在ほど自由意思を尊重されるのですから、例え、霊的修行者としての道を歩み始めたとしても自己犠牲が求められるということはありません。

そもそも、霊的修行者であることを、今この瞬間に辞めたと言えば、それで終わりますし、会の退会もすぐに出来ますし、霊的トレーニングを全くやらなくても誰に何を言われるわけでもないのですから、自己犠牲が強要されるなどということはあり得ません。

むしろ、過度な自己犠牲によって、自分や家族の生活が立ち行かなくなるということは良いことではありません。

地上では、常識的な社会の一員として生活を維持するという大前提があって、霊的トレーニングやトオゥ・ライ・シェイなどの神伝の法の実践が必要だということですから、その部分を無視してしまって本末転倒になってしまいます。

しかし、そのことを前提にした上で、高貴な存在は自由意思を尊重するが故に、自己犠牲というものに価値を認められるのでしょう。

肉の維持のために自分の都合を最優先させるという本質がありながら、それを超えて何かをするというところに価値があるのだと思います。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊を知るために 弁慶と弟子体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。


災害等で、自己の命と引き換えに他者の命を救ったという話を聞くことがあります。

人として非常に尊い行為であり、高貴な存在も価値を認められることが多いでしょう。

ただ、ここで一番問題なのは、自己犠牲で命まで落とした方の幽体の状態が上層幽界に入れるレベルでなければ、やはり上へ行くことは出来ないと言うことです。

もちろん、そのような立派な魂は下に落ちても上に上がれるチャンスが通常よりも多いのかも知れませんが、そこまでのことは僕には分かりません。

少なくても、善人であっても悪人であっても手に持った石を放せば、石は下に落ちるというのが物質の法則であるのと同様に、幽質界では、幽体の状態で住む場所が勝手に決まってしまうというのが法則なのですから、そのあたりの事情というのは基本的には関係ないのです。

そのような立派な方が死後下に落ちてしまうというのでは、あまりにも理不尽であるが故に、僕は毎日霊的トレーニングを実践して下さいと訴え続けているのです。

もちろん、僕のように立派な魂でなくても、霊的トレーニングを正しく行えば、幽体の状態は凄く良くなります。

それが霊魂学の示す事実なのです。

自己犠牲は霊的な観点からも大変尊い行為だと思いますが、まずは自分自身の霊的トレーニングやトオゥ・ライ・シェイへの参加や己を常に見つめ直す日々の生活における修行が重要なのです。

その先のことは、中級、上級になってから、じっくりと考えて行動されれば良いと思います。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。