606th  がんばりたいのにがんばれない | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

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CMでそんなフレーズの曲が流れていたと思いますが、これは深刻な問題です。

ちょっと前までは、怠けるための口実だと言われてしまっていましたが、いまでは病気だということが認知されてきました。

しかし、会社側からすると、それをいいことに怠ける口実として病気を持ち出す方もいるために、本当に苦しんでいる方といんちきをしている方の区別がつかないという非常に難しい問題が生じています。

実際に、この件に関する訴訟も数多く起こされていますので、会社経営者にとっては頭痛の種になっています。

ただ、病気であると認知されているように、実際にそのような状態になっている方の苦しみは相当なもののようで、そのような状態になったことがない方には理解することは難しいでしょう。

地上の生存競争が無くなることがありませんから、社会構造がより複雑になればその原因も更に複雑になっていくでしょう。

原因に関しては、個々によって異なるので、これということは言えないのですが、人によっては霊的な障害が併発している場合もあるようです。

物質の肉体の問題と霊的な問題が複雑に絡んでいると本当に難しくなるでしょう。

他者が出来ることには限界がありますし、かといってご本人が何か解決出来るのであればそのような状態になっていないということも言えますので、お手上げの状態になってしまうことが少なくないのです。

これは、仕事や家事に関する問題として世間では認知されていますが、霊的修行者の修行においても同じような現象が生じることがあるようです。

僕などは、仕事にかまかけて全く霊的トレーニングをやらなくなってしまった時期があると以前書きましたが、その状態から開放されて、やろうと思えば出来る状況になってもすぐには、本来自分が想定している状態に戻すにはかなり時間がかかりました。

期間の長短はありますが、僕はそれを数回繰り返しています。

これは、僕特有の怠け病で、他の霊的修行者ではあり得ない話だと思っていましたが、そうでもないようです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊を知るために 弁慶と弟子体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。


さすがに、ここ数年はいろいろこりて、悪しき習慣は顔を出していませんが、最初からきちんと霊的トレーニングを続けておられる方にとっては何とも奇妙な話だと思います。

しかし、人間は自由意思がありますし、自分自身や環境には波もあります。

何か一つボタンを掛け違えてしまっただけで、全てが大きく狂ってしまって、なかなか本来想定している状態に戻せないということは多々あるようです。

自由意思は最終的に自己責任を伴うものですから、結局、最後の最後にはそこに行き着いてしまうのですが、それでもなかなか踏ん張れない、一歩踏み出せないというのも人間の特性の一つですから、頭ごなしにお前は駄目だとか、守護霊や指導霊が毎日泣いているぞとか、言われてもがんばれるわけではありません。

霊的修行者の場合は、支部集会で先輩や同期の仲間に相談することが何かのきっかけになるかも知れません。

霊査が有効な場合も多いでしょう。

ただし、霊査は、何度も書いているように、霊魂の存在を信じていて、霊魂学を認めるということが無い方は、受けても無駄に終わることが多いと思います。

霊的なアドバイスを受けても、それを信じなかったり、場合によっては反感を持ってしまったりすると、逆効果になってしまうことが少なくないからです。

そもそも、霊査は霊媒とそれに協力して下さる霊魂との共同作業ですから、自分の存在を否定するような相手になぜアドバイスをしなければならないのかと言われたらそれまでです。

地上に降りたことがないようなあまりにも高貴な存在は別ですが、あなた自身の守護霊や指導霊を担当される霊魂は、元々地上での生活を何回も経験しているのですから、例え、地上の人間よりも霊的にレベルが上がっていると言っても、当然ながら感情がありますし、それこそ自由意思があります。

そこには人としての常識が存在し、その中には物質界と幽質界で異ならないものもあるのです。


いずれにしても、一歩踏み出すためには、無理しない範囲で何か行動を起こすしかないことだけは確かです。

昨日と同じことを書きます。

ゼロにはどんな数字を掛けても全てゼロです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。