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チャップリンの代表作の一つです。
以下、ネタバレがありますので、映画をご覧になりたい方は読めれないほうが良いと思います。
主人公は浮浪者の男です。男はある日、盲目の花売りの娘と出会い一目惚れするのですが、娘はあることから、その男が金持ちの紳士と思い込みます。
浮浪者の男は花売りの娘から花を買って紳士を装っていたのですが、いつの間にか娘にとって、男はただのお金持ちではなく、それ以上の人物となっていきます。
男は病気の彼女の為に働き出し、できる限りの献身をするのですが、ある日、娘とその祖母が家賃を滞納し立ち退きを迫られていることを知り、娘を助けるためにお金を用意しようとします。
しかし仕事はクビになり、いろいろな展開があるのですが、最終的には自殺しようとするところを助けて知り合いとなった富豪と再会し、彼の家に行き1,000ドルを受け取ります。
ところが、たまたまその家に泥棒が入り、酔いが覚めるとその男のことを忘れてしまう富豪は、男にお金を渡したことを忘れており、警官に疑われた浮浪者の男は富豪の家から逃走し、花売りの娘に家賃と目の手術代として1,000ドルを渡し握手をするとその場を立ち去り、結局、警官に無実の泥棒の容疑で捕まってしまいます。
時は流れ、刑務所から出た浮浪者の男がとぼとぼと歩いていると目の治った花売りの娘と再会します。娘は1,000ドルを自分に渡した恩人は金持ちの紳士だと思い込んでいるので、まさかこの浮浪者が恩人だとは思いも寄りませんが、そのまま立ち去ろうとする浮浪者の男に彼女は哀れみから花と小銭を手渡そうとします。
その時、男の手を握った娘はこの浮浪者こそが恩人であることに気付くのです。
映画は、気付いた娘の微妙な表情を映して終わります。
その後どうなったかは、見た人が想像するというパターンの映画ですが、本当に微妙なその表情がこの映画の全てだと言えるでしょう。
地上に降りた人という霊的生命体の肉の生活の悲劇の一つを凝縮したような映画で感慨深いものがあります。
そして、自分の人生の全てを救ってくれたとさえ言えるような恩義であっても、その感謝の気持ちと言うのは、その程度のものだということも思い知らされます。
大変不思議なことなのですが、憎しみの感情というのは、別に親や子供を殺されたというようなことではなくても、ずっと残り、時間が経過するにつれてどんどん大きくなっていって、相手を呪い殺したいとさえ思うようになることが珍しくありません。
しかし、命を救ってくれた、人生全てを救ってくれたという感謝の思いは、何故かどんどん忘れていって、その相手の人が窮地に立った時に自分の人生をかけて救おうとした話はあまり聞いたことがありません。
つまり、肉の生活とは自分の都合が優先されるので、他者からのマイナスの関与は絶対に忘れないのに、他者からのプラスの関与はすぐに忘れてしまうのです。
そして、幽体も負の念によって傷つき、最終的にはそれによって下層幽界に落とされることになることはあっても、感謝されたからといって、幽体の調子が良くなったり、傷が治ったり、それによって上層幽界に入れたりということがないのです。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、わかりやすい霊魂学
、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)
、霊を知るために
、弁慶と弟子
などをご覧になって頂ければと存じます。
何度も書いていますが、霊魂学においての最も基本的なこの事実の認識こそが、地上で生きる人たちにとって、最重要課題なのです。
霊的カルマの解消とともに、幽体というものの事実を知るということだけは、ありとあらゆる人たちにきちんと理解しておいて欲しいのです。
この二つだけでも事実として捉えて、生きる意味を知れば、必ず霊的生命体として、本物の幸せを手に入れることが出来ます。
違う視点で申し上げれば、地上におられる全ての方々にとって、神伝禊法初伝と神伝鎮魂法初伝だけは、どうしても必要なのです。
ありとあらゆることに優先されます。
霊魂学の学徒の立場で申し上げれば、神霊やキリストや高級霊魂の長年のご苦労の末、今地上に神伝の法が示されている以上、最低でもこの二つを実践しないのであれば、この世に生まれた意味はありません。
地上の現状を考えれば、意味が無いどころか悲劇だと僕個人は強く思っています。
しかし、肉の生活の維持が全てを阻害し、自由意思の行使は常に霊的な進歩向上とは逆の方向へと行使されているのです。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。