神伝鎮魂法も初伝、次伝、中伝、奥伝、秘伝の5段階があります。
鎮魂という言葉は世間では、霊魂学とは異なる使われ方をされているようです。
神伝鎮魂法とは、三種の神器(さんしゅのしんき)を使って霊的な身体を成長させ、強く美しいオーラを出せるようになるための霊的トレーニングです。
初伝では、地上の人間にとって極めて重要な幽体を鍛え、次伝では、すぐには使わないはずの霊体を鍛えます。
中伝になると、よく分からない世界に入ります。
自分自身の本体と接触し、本体をも成長させるのです。
難しい話ですので、詳しくは書きませんが、とにかく、地上の人間にはいくつも本体が存在し、その本体を成長させる霊的トレーニングが神伝鎮魂法の中伝なのです。
初伝、次伝、中伝では三種の神器のうちの玉(石)を使います。
これらは、玉(石)の鎮魂なのです。
そして、奥伝ではいよいよ人という霊的生命体の正体である魂(たましい)をも成長させることに挑戦するわけです。
魂(たましい)についても長くなるので書きませんが、肉体、幽体、霊体、神体、そして本体をも含めた、非常に巨大で複雑極まりない己の正体が魂(たましい)だと申し上げておきましょう。
この魂(たましい)は、修行によって、魂(こん)に至り、最終的には本来の姿とも言うべき霊魂(れいこん)へと帰っていかなければならないのです。
契山館関連のサイトに「たましいの帰り道」というタイトルのものがありますが、実はこのタイトルには非常に深い意味があり、たましいを本来の姿であるれいこんへと導くための帰り道を示したいという思いが僕には感じられるのです。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、わかりやすい霊魂学
、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)
、霊を知るために
、弁慶と弟子
などをご覧になって頂ければと存じます。
神伝禊法の秘伝、神の禊も地上の人間にとってはあまりにも遠い世界の話ですが、神伝鎮魂法の秘伝、剣の鎮魂も同様に何がなんだか分かりません。
ただ、剣の鎮魂という一つのゴールを目指すには、己の複雑極まりない魂(たましい)というものを本来帰るべき場所に戻さないといけないようです。
このあたりの話はほとんど聞いたことも文章で見たこともありませんので、僕の推測も入っていますが、とにかく、この鏡の鎮魂によって、魂(たましい)をあるレベルまで進化させることによって、最終的な神器(しんき)である剣を使うことに挑戦出来るのでしょう。
剣とは、地上の人間と神霊とを本当の意味で繋ぐ神秘中の神秘ですが、なぜそのようなものが地上の人間に必要なのか分かりません。
人という霊的生命体が地上という物質界に降りることが決まった時から、神の経綸は一つの結末へと向かって動き出し、いつか剣が必要となる時が来ることが予想されていたのでしょうか。
だから、霊的な剣という恐ろしいものが存在しているような気がします。
高級霊魂の力を降ろし、神霊との交流をも可能にする、霊的な鏡が地上に多く存在するようになった時、人類の負の連鎖は良い意味で終わりを告げるのでしょう。
剣とはまさに諸刃の剣。
一瞬で全てを変えてしまいます。
だからこそ、地上には鏡が必要なのです。
地上に本物の霊的な鏡を増やすということも鏡の鎮魂の修行の本質の一つでしょうから、鏡の鎮魂を実践する者には相応の役割というものがあるはずです。
神伝禊法の奥伝、霊の禊もそうですが、神伝の法も奥伝となると、ただ忙しい合間を縫って、毎日真剣に行を行じるということだけが、習得のための修行ではないような気がします。
このレベルになると各々が自分で考え、己の最善を尽くすしか、習得への道は開かれないと僕は確信しています。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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