526th  鬼退治 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

桃から生まれた桃太郎は鬼退治をします。

一般に知られているこの勧善懲悪の物語にも霊的な意味があるように感じていますが、それはここでは述べないとして、この鬼退治には明治の超有名人が非難をしています。

慶應義塾大学の創始者である福沢諭吉です。

彼は、鬼の所有物である財物を暴力で奪うなどということは決して許されることではないと痛烈に批判しています。

僕はそれはその通りだと思うのですが、それ以前の問題として果たして鬼とは本当に悪者なのかという疑問があります。

桃太郎伝説がどのような事件から構成されていったのか知りませんが、何度も書いているように戦いの歴史は常に勝者の歴史ですから、勝った方が必ず正当性を主張し、そのような情報操作をします。

鬼という存在が地上に実在していたとは考えにくいので、どこかの人種が鬼として大量殺戮された可能性が高いと僕は思っています。


霊的なことでも同様なことが言えるでしょう。

未熟な霊魂も邪霊も地上で暮らしたことがある人間ですし、地上にいる時に極悪人だったとは限りません。

中には地上で大偉人として今も高く評価されている人も多くいるでしょう。

天下統一などどれだけ多くの人から恨まれたか想像もつかないくらいですから、霊的なトレーニングをしていなければ、幽体はどうしようもないほどボロボロになっていたと思われます。

地上で、権勢を振るっていた人が、下層幽界や地獄に近いところに落ちてしまえば、反省するどころか逆に幽質界の法則を否定したくなるでしょう。

どんどん下へ下へと底なし沼にはまるように落ちていくことが想像されるのです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。



少しばかり霊的なレベルが向上したり、向上したと錯覚した時に、霊的な意味での鬼退治をしようと考える方がいらっしゃるようです。

一人の地上の人間の力で、地上に溢れかえっている未熟な霊魂や邪霊を一掃することなど出来るはずがないのですが、地上の人間はすぐに傲慢になってしまいます。

本当の鬼はどこにいるのか、誰なのかも分からず、霊魂達の言い分さえ聞いていないにも関わらず、勝手に鬼退治をしようとするということは何を意味するのでしょうか。

場合によっては、霊魂達の言い分に分がある場合もあるでしょう。

僕は、鬼退治を考える方の心の中にこそ、鬼がいるのではないかと思っています。


正義も大義も所詮、地上の一人の人間の独善的な考えの一つに過ぎません。

そのことを十分にわきまえた上で、立たなければならない時は立つべきでしょう。

しかし、それはたった一度の大勝負の時だと僕は思っています。

鬼は地上の人間、どなたの心にも住んでいます。

人は、他者である鬼を退治するよりも、まずは自分自身の鬼と向き合い、鬼とうまく付き合う方法を見つけるべきではないでしょうか。

かくゆう僕自身が心の中に住む鬼と上手く折り合いがつかずにいつも失敗ばかりしています。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


ブログ村ランキングに参加させて頂いています。

1日に1回クリックして、応援して頂けるととても嬉しいです!

   

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ
にほんブログ村


YAHOO!

Google