地上で生きている以上、この恐ろしいほど速い地上の変化に適応していく必要があると思っています。
それは、普段の生活のことではなく、霊的な意味での話です。
迎合と適応を同じ意味だと思っているとしか思えない状況に出くわすことがありますが、そのところの線引きはしっかりしていないと大きな間違いを犯すことになると思います。
地上の人々は物質界しかないと思っておられる方が多いですが、実際には幽質界や霊質界や神質界もあり、特に幽質界は上と下に分かれてしまっていますが、どちらの世界で暮らしているかでその内容は天と地ほどの差があります。
霊魂学の主張としては、何としてでもせめて上層幽界に入ろうよということになるのですが、聞く耳を持つ方は皆無に近い状況です。
そのことはともかくとして、例え、物質界以外の世界の法則を知識で知ったり、何らかの霊的感性で感じたとしても、それをきちんとアレンジしないで、物質界である地上に持ち込もうとすると大きな間違いを犯すことがあります。
かつてある方が僕に対するメールで「あなたが地獄に落ちるのは構いませんが」という表現を使っておられましたが、そのような言葉を平気で使うことが、地上にいる人間同士で通用するはずがありません。
それは、どんなに親しい間柄であっても、家族間ではあっても、口が裂けても言ってはならない表現であって、その感覚は地上では一切通用しません。
それがほとんど何の交流もない相手であれば、尚更のことです。
霊的修行者が陥る最も危険な罠は、考え方が正しければ、その信念に基づく言動は全て正しいと思い込むことです。
考え方が本当に霊的に正しいとは限りませんし、本質的に問題となることは、正しいことを伝えるためであれば、どんな表現を使おうが、何を言おうが正しいと思う込むその傲慢さです。
霊的なことなど、修行途中の修行者に全てが分かるはずもなく、地上の人間同士であれば、まずは人として最低限の礼儀やルールを守るべきだという一線があるはずです。
これは、僕個人に起こった出来事に限ることでなく、残念ながら、霊的に正しければ、相手のために何かをしてあげようとするのではなくて、自分自身がそれをしたいがために、霊的なことを口実として使ってしまうということがあるように感じています。
正しいと思うことを伝えようとするのであれば、その言動が相手に受け入れられなければ全く意味がないわけで、表現方法を間違えれば逆効果になってしまうことも少なくないからです。
僕自身も自らの未熟さを鑑みる時、常に大きな危険と隣り合わせにいることを実感しています。
特に、このようなブログを書いていたり、会の支部集会で話をしていたりすると自分の言っていることは間違いだらけなのではないかと感じることが多々あります。
しかし、少しでも事を前に進めようとすれば、反省しながら進んでいくしかないのです。
その葛藤というものは、かなりのものがあります。
己のエゴか霊的な活動かの線引きはそれほど難しいのです。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、わかりやすい霊魂学
、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)
、霊を知るために
、弁慶と弟子
などをご覧になって頂ければと存じます。
多くの方からご批判を受けるのは当然なのですから、このように毎日偉そうなことを書くことはある意味苦痛でもあります。
しかし、霊的なことを地上の価値観にも適応させて伝えていくには、何か行動をしなければ始まらないのです。
非常に困難なことですが、師は常に神伝の法や霊術などを時代に合わせて、地上の状況に合わせて、改良し続けておられます。
神伝禊法次伝などは、火の禊から他のものに変わっておりますし、その他の神伝の法も随時改良されておられます。
それは、どんな真実もどんな素晴らしいことも、使えなければ意味がないということを仰っているような気がします。
机上の空論が何の役にも立たないように、霊的なことも実践なきところには何も生まれません。
例え、それが失敗に終わったり、大きな間違いを犯してしまったとしても、真摯な気持ちを持って、その時の最善を尽くしたのであれば、高級霊魂が見放すことはないと思っています。
もちろん、守護霊も指導霊もそして偉大なる神霊やキリストも。
常に人としてどうあるべきか、霊的修行者としてどうあるべきかのバランスが問われており、それに挑戦し続けるしかないのでしょう。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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