アップル創業者スティーブ・ジョブズ氏の死去で、アメリカ社会を喪失感が覆ているそうです。
ファンとの強い結びつきが宗教にもたとえられたジョブズ氏の、一起業家を超えた文化的・社会的な影響力の大きさが改めて浮き彫りになっています。
6日には、アメリカのテレビ各局はジョブズ氏の追悼番組を放送し、マイクを向けられた市民は、「心にぽっかりと穴があいたよう」「この喪失感をどう表現していいか分からない」と次々に戸惑いを口にしたとのことです。
一企業家でありながら、アメリカ国民にとってはジョン・レノン氏のような存在だったのでしょうか。
1994年にイタリアの哲学者がアップルをカトリックに、ライバルの米マイクロソフトをプロテスタントにたとえてから、アップルが宗教の比喩で語られる機会が増えたそうです。
何もないガレージでの創業は“天地創造”、内紛で追われたジョブズ氏の復帰は“救世主の再臨”、そして友人に“改宗”を迫る熱烈なファンといった具合です。
ニューヨーク大のアンジェラ・ジトー教授は、「一体感など宗教的要素はあると思う」と語っています。
ITの巨人が教祖になぞられるのは不思議な気もしますが、一般的なWindowsのパソコンとは異なり、クリエイターなどに人気のあるアップルのコンピューターの愛好者にはアイデンティティー(自己同一性)さえ感じられるのかも知れません。
しかし、やはり個人的には、仕事や生活のツール(道具)に過ぎないコンピューターに対し、それほどまでに感情移入し、製作者に教祖としてのカリスマを感じることには違和感があります。
コンピューター無しの生活など考えられなくなっていますが、やはりコンピューターに対する擬人化概念がとても進んでいるようです。
以前にも書きましたが、そうなることは未熟な霊魂や邪霊につけ込む隙を与えるので霊的には良いことではないと思います。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、わかりやすい霊魂学
、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)
、霊を知るために
、弁慶と弟子
などをご覧になって頂ければと存じます。
ただ、僕がこのニュースで強く感じたのは、人という霊的生命体は、やはり心の奥底で宗教を強く求めているのだということです。
スティーブ・ジョブズ氏は偉大な企業家だと思いますし、僕自身もその恩恵を受けているのですが、彼が高級霊魂と交流していたということはないでしょう。
人々の宗教心が疑似体験を求めるのではなく、霊的な事実や真実に向いてくれれば良いのにと思わずにはいられません。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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