464th  9.11 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

今日はやはりあのテロ事件について書かなければならないのでしょうか。

アメリカはまだ11日を迎えていませんが、すでに大変な警戒状態にあるでしょう。

変な表現ですが、テロリストが実を取るのであれば、12日以降の方がテロの危険が高いと思っていますが、いずれしても犠牲者が出ないことを願っています。

日本でも今日はテロに対する警戒が必要だと思います。


宗教的な理由による自爆テロというのは、本当に悲惨なものです。

被害者の方はもちろんのこと、直接の実行犯もあの世での永遠の幸せを夢見て自爆するのですから、誰も浮かばれません。

実行犯は恐らく物心ついた時から反米、反キリスト主義を徹底的に教育された可能性がありますから、被害者の側面もあるのです。

もちろん、自爆テロによってあの世で幸せになることなどありません。


宗教の対立は人々を不幸に導いてしまうことが多いです。

僕が、中学や高校時代に宗教が嫌いになったのはそれが理由でした。

そんなことで殺し合いをするなどあまりにも愚かだと思ったのです。

僕は、神の存在は何となく信じていましたが、人が人の人生を縛り、対立という不幸しか与えない宗教という存在が馬鹿らしいと思ったのです。


て、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


今は、宗教のそのような側面を認めながらも、やはり人は宗教でしか救われないのだと思っています。

人が地上で生きることはあまりにも苦し過ぎるからです。

物質界にいるために肉の維持が最優先になってしまい、それが数え切れないほどの不幸を生みます。

物質界での苦しみを味わい尽くされた方が宗教というものに救いを求めるのは当然とも言えるからです。

その宗教が法律を破るものではなく、他者に迷惑をかけるものでなく、それで少しでもその方の苦しみが和らぐのであれば、宗教に癒しを求める人を誰も批判することは出来ません。

出来ればその求めた先に見つけたものが、霊魂学であって欲しいとは思いますが、例え違っていても唯物論よりは遥かにましです。

そして、その宗教がより真実に近いものであって、結果としてその方が何とか守護霊や指導霊と交流を持てれば、なお良いでしょう。

洗脳などによって自由意思が奪われることさえなければ、いずれ上層幽界へ行くチャンスは残されるからです。

自称守護霊や守護神と話が出来るようにさえならなければ、光は残されるのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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