458th  備えがあっても憂いはあるけれども | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

まずは、台風12号で被災された方々にお悔やみとお見舞いを申し上げます。


「天災は忘れたころにやってくる」

寺田寅彦の有名な言葉ですが、今年に関してはそれはあてはまりません。

東日本大震災以来、次から次へと天災が押し寄せてきています。

台風13号も発生したようですし、これからまだまだ何が起こるのだろうと不安になられる方も多いと思います。

今年の天災は、記録的なもの、想定外のものが多く、備えがあったのにとニュースではよく報じられています。

しかし、備えがあったからそれでも被害は少なく済んだと言うケースも少なくないように思います。

霊感があり、自称守護霊や守護神がついていると仰る方の中には、自分は神に守られているから、神の子だから、天災などで命を落すことはない主張する方もおられるようですが、どうなんでしょうか。

地上で生きている人間の中で、神から何か特別の利益を与えられる方など存在するのでしょうか。

例えば、そのような方であっても普通、病気や怪我をされれば病院で治療を受けるでしょうし、肉体の損傷は病院で治療を受けるのが当然だと言えます。

祈祷して治るようなものではありません。

肉の脳の異常も病院で治療を受けるというのが本筋でしょう。

確かに、現代医学ではどうしようもないという状態になったり、霊的障害による部分が大きかったりする場合には、病院の治療に加えて霊的な治療が必要だったり有効だったりしますし、病院での治療でのマイナスがあればそれを霊的に補うということはありますが、あくまでも肉体の損傷は病院で治療を受けるべきだと思います。

実際に、僕も持病がありますが、定期的に薬を飲んでいますし、喘息の発作が起これば、吸入がないと最悪死に至ります。

もし、僕が、「私は禊法も鎮魂法も奥伝を経て、まさに聖人、神人への道を歩んでいるのだから、志を果たすまでは、病気や怪我などで死ぬはずがない。守護霊や指導霊だけでなく、神霊やキリストにも守られているからです。」などと言い出したら、周りの人は引くでしょう。

そして、その言葉を本気で口にした瞬間に、霊的修行者の堕ちる穴にはまって、行き先は地獄しかなくなるでしょう。


話がそれましたが、とにかく天災の発生自体は防ぎようがないのですから、きちんとそれに備えてあらゆる準備をしておくほうが良いと僕は思います。

何度も書いていますが、テレビで見ている映像の真ん中に明日自分自身がいるということが不思議でもなんでもない状況にあるのですから、準備をしていて良かったという場面が来るかも知れません。


て、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


唯物論は困ります。

しかし、唯物論者が何かのきっかけで霊的なことを信じるようになると、反動なのか何もかも霊的な力や技法で解決できると勘違いをされてしまう場合が少なくないようです。

確かに霊的トレーニングの段階が進んだ人が、10億人の中に一人だけ紛れていても、高級霊魂はその人のことを瞬時で見つけるでしょう。

霊質界の存在には霊体しか見えないのですから、その霊的修行者が霊体から地上の人間では普通考えられないようなオーラを出していれば、一目瞭然なのです。

我田引水で申し訳ないですが、霊魂学の視点からはそれは事実なのです。

神伝の法は、地上の人間を地上の人間ではないかの如くまで霊的身体や魂を進歩向上、いや進化さえさせます。

ところが、肉を着ている以上、物質的なこと、肉特有のことに関しては、普通の方と何ら変わりませんし、霊的な必要がないのに自分だけに奇跡が起こるということもないのです。

但し、あの世に行けば、これほどまでだったかとびっくり仰天するということも事実なのです。


信じる信じないはあなた次第です。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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