454th  大義に苦しめられるでしょう | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

大義というのは、最高の道義という意味のようですが、僕はこの大義という言葉を振り回されるのが大嫌いです。

大義という言葉自体に問題があるのではありません。

この言葉を使う人の目的は次の二つの内のどちらかであることがほとんどだからです。

一つは、己の違う目的を隠すために、多くの人々が納得せざるを得ないような理念を打ち立てて、大義のためにはこうすべきだと説く場合です。

そして、一つは、大義の内容に対してはほとんどの人が納得している時に、それを実行する己の手段を正当化するためにこの言葉を使う場合です。


どんなに崇高な理念や理想を語ろうが、大義という言葉を使う人の多くは、そこに自分の考えややりたいことを正当化しようという意図が隠されています。

日本のアメリカとの戦争においては、この大義という言葉が軍部に都合良く利用されたのです。

今も施政者にとってはとても都合の良い言葉ですし、普段の仕事や生活の中で、このような言葉を使う人は信頼できません。

そもそも普段の仕事や生活で使う場合は、使う人が自分の考えや意見を正当化しようとしているのが透けて見えてしまいます。


て、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


今後の経済の見通しは決して明るいものではありませんし、東日本大震災以降も天災は間断なく続いています。

施政者や権力者や企業経営者は、恐らく大義という言葉を利用して人々を苦しめるでしょう。

特に自らはリスクを取らずに、安全なところで大義を振り回す場合は、まず間違いなく、大義を果たすのが目的ではなく、無茶なことを無理強いする意図があります。

自分の安全を確保しながら、多くの人に苦しみを甘受させるのは彼らの得意のパターンです。

地上の霊的状況の未来にとって正念場と言えるような時期に、人々は心身ともに苦しみを与えられて、霊的進歩向上とは逆の方向に突き進みそうな感じがして、僕はとても憂鬱になっています。

更に苦しみが増せば、扇動家も多く登場するでしょう。


とても難しいですが、こんな時代だからこそ、霊的な事実を、霊的生命体の真実を求めることが、本当の幸せへの近道なのですが、楽観できる要素は見当たりません。

極めて過酷な状況の中で、一つの結論が出される日が訪れるのでしょうか。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。

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