452th  さもしい | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

法律事務所で働きながら司法試験の勉強をしている頃、ある思考性を持った女性をさもしい人たちだと思っていました。

独身の男性弁護士に露骨に或いは本音を隠しながら近づいて何とか玉の輿に乗ろうとしている女性の方々に対する感情でした。

社会的な地位や名誉や金銭的な豊かさを求めるのは自由だけども、それであれば、自分自身が司法試験の勉強をして、合格を勝ち取って、己の力でそれを手に入れれば良いものを、世間的にあまりすれていない若い弁護士に群がるとは何ともさもしいと心から思ったのです。
女性の受験生の中にもそのような様子を毛嫌いしておられる方々が少なからずおられました。

僕自身が仕事と終わりの無い受験勉強の両立で肉体的にも精神的にも疲れ果てていましたから、特にそのような憤りと軽蔑が入り交ざった感情に囚われたのでしょう。


人は、自分自身のこともよく分かっていないのに、自分の価値感に偏った狭い視野で物事を判断してしまいます。

肉の維持のために、なぜか肉体も心も疲れさせてしまうからです。

生きていくことは大変なことなのだから当たり前だと考える方もおられるでしょうが、地上での生活はいわば霊的生命体としての人にとっては、非常に短く、特殊と言えますので、それが普通ではないのです。

しかし、そのような状況でどのような立派な人であっても肉の脳という極めて限定された能力を使って判断しているのですから、正しい判断など出来ないのが当たり前なのです。

それを認識しないで、他人を見るので間違えるのです。


人にはそれぞれの過去世や事情や霊的な状況があり、複雑な状況の中で地上に再生され、必死に生きているのですから、他人のことなど分かるはずはありません。

それでも、自分自身に直接の関与がないにも関わらず、他人を勝手に色眼鏡で見て、勝手に憤慨するのです。

インターネットの世界はそのような感情に満ち溢れています。


僕は今は、あの時、まさに自分の方がさもしかったと思っています。

司法試験の勉強などしていなかったら、あれほど強い感情を持つことはなかったでしょう。

或いは自分自身が弁護士になっていたら、苦笑いをした程度だったでしょう。

自分の都合で、受験をして、勝手に他人のことをさもしいと感じ、苦悩のはけ口としていたのです。


て、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


何回も書いていますが、未熟な霊魂や邪霊は地上の人間の心理を知り尽くしています。

まさにさもしい心を利用することなど朝飯前でしょう。

人を自惚れさせて、どん底に突き落とすことも得意中の得意としています。


人は地上で、まずは自分自身のことを見つめて、自分の努力で、日々霊的進歩向上を目指すことが重要なようですが、それは同時にさもしい霊魂から己を守ることにもつながります。

過度に卑下する必要はありませんが、地上の人など所詮肉の維持のために大切なことは見えていないし、本当の意味での正しい判断をすることなど難しいのだ、そして、それは自分自身にも当てはまるのだということを常に認識していないと現在の地上では、必ず足元をすくわれてしまうでしょう。


僕たちは大変難しい時代に地上に再生されたようです。

その難しさ故に神伝の法が今地上に存在しているのかも知れません。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。

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