449th  生きる喜び | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

単純に生きる喜びとは何だろうと考えたことはありませんか。

誰もが一度くらいはあるのではないでしょうか。

小学生の頃は、単純に将来の夢を描き、それが叶えられたら喜びとなるだろうと考えます。

その後、進学や就職を経るうちに、人間関係の難しさや労働によって自分の生活を支えていく苦しさをしります。

それでも、若いうちは、何かに向かって頑張ることによって喜びを得たり、結婚や新しく作る家庭に希望の光を見つけたりします。

しかし、家族が増えることの喜びはいつのまにか家庭を維持することの苦しさに変わっていきます。

労働と家事。


成功を手に入れ、幸せに浸ることもあるでしょう。

しかし、好事魔多しで良いことには邪魔が入ります。

物質界で、物質的な喜びを得ることは出来ますが、その喜びは永続しないことが問題です。

そして、どんなに幸せな人生を送ったと豪語する方でも、やがて死への恐怖が訪れます。

いったい生きる喜びとは何なのでしょうか。

答は個人個人によって異なるでしょうが、地上に生まれた以上、肉の身の特徴を排除することは出来ませんから、それが原因となる悩みや苦しみからは絶対に逃れることは出来ません。


そうなると人は不幸になるために生まれてきたということになります。

ある意味、それはその通りなのですが、それはあくまでも物質的な視点で考えた時の結論に過ぎません。

物質的な幸せやご利益を得ることだけを考えれば、人は必ず不幸になります。

物資的な欲望は再現がなく、肉の弱点を完全に克服することは出来ないからです。

人は常に足りない部分を埋めようとします。

その行為、その思い自体が不幸そのものなのです。


て、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


ある弁護士が仰いました。

「国から勲章をもらえないかなあ。」

それなりに苦労をされ、それなりに社会に貢献してきたと思っておられるその方は、自分が半世紀以上生きてきた証が欲しかったのかも知れません。

地上で生きた証を勲章に託しても、それは虚構の喜びでしかありません。

すごいですねと周りから言われる快感が一瞬だけ味わえるだけです。


人という霊的生命体は、地上に生まれた意味を知り、その目的を確信してそれに向かって努力することによって初めて、生きる喜びを得られるのだと僕は思っています。

それしかありません。

世の中の大多数は否定するのでしょう。

しかし、あの世へ行って、下に落ち、地上をうろつきながら、他人をおもちゃにして不幸になるのを楽しんだり、地上時代の凝り固まった考えを他人に押し付けることで快感を得たりすることしか喜びがない生活を考えれば、苦しくても地上で生きているうちに本来の方向へ進んでいくしか人が救われる方法はありません。


自由意思の裏には常に自己責任があります。

生きる喜びが何であるかを見抜くことも、自己責任です。

人はいつか必ず死を迎えます。

そうすれば、一つの決定的な事実を知ることになります。

何事もそうですが、準備をしていなければ、必ずその通りの結果になります。

自己責任を考えれば、それで良いのかも知れません。

僕が偉そうに毎日何かを語ることなどあまりにも傲慢なことなのでしょう。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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