448th  アメリカ東部の地震 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

アメリカ東部で50年ぶりとか100年ぶりとか言われる規模の地震がありました。

ニューヨーカーの中にはパニックを起こした方も少なからずいらっしゃったようです。

東京での生活が長かった僕などは、地震に対しては慣れっこになっていてこれまで地震で怖いと感じたことはありません。

今回の東日本大震災の時に、揺れに対する対策がなされていない高層ビルにいたら肝を冷やしたでしょうが、運良く神戸の耐震構造ばっちりのマンションにいたので、ほとんど揺れを感じませんでした。

名古屋の仕事場にいた妹や大阪の仕事場にいた妻はかなり強い揺れを感じたようですので、東京だったらかなりの恐怖を感じたのかも知れません。


アメリカ東部では滅多に大きな地震が起きないようなので、初めて立っていられないような揺れを感じた方々は、言いようの無い恐怖を感じられたと思います。

人は、経験したことのない恐怖、特に命に直結すると思われる恐怖を感じるとパニックになって当たり前なのでしょう。

本当に怖い思いをされたと思います。


人は、生命の危機を感じると際限のない恐怖を感じるようです。

ところがそんなものは超越したと仰る方もおられます。

実際のところはどうなのでしょうか。


て、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


死生観に関しては大変恥ずかしい思い出があります。

あまり書きたくありませんが、何かのお役に立てればと思って書きます。

霊魂学に出会う前ですが、いろいろなことによって死後の世界があることを確信した僕は、ある霊能力者の前で言いました。

「僕は死ぬことは全く怖くありません。」

彼は一言仰いました。

「どんな人も死ぬと分かれば恐怖に慄くものですよ。」

しかし、何か一つの真実を掴んだと思い込んでいた僕はそうなのかなと疑問を持ちました。

今思えば、一歩間違えれば不遜の闇に陥る寸前だったのかも知れません。


死は怖いです。

もちろん、霊的修行者として日々物質的ではない世界のことを考えている僕は、そうではない方とはちょっと感覚は違うのかも知れません。

しかし、肉体を持っている以上、怖いという感情はあります。

特に、苦しみながら死ぬのは嫌だと思っています。

地上の人間なのですから、どんなに高度な修行を教えて頂いていてもそんな程度なのです。

そうではないと仰る方もおられるかも知れませんが、僕は違います。

怖いです。

ただ、神霊やキリストのお役に立てないのであれば生きていても全く意味がないと思っていますし、ちっぽけな命を何か役立つことに使えるのであれば、最高に幸せは地上での人生となるなとは実はずっと前から思っています。


と言っても、あまりにも劇的な人生ですから、最後はあまりにもあっけないのかも知れません。

それはそれでとても嬉しいのですが。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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