タイトルの言葉をヤフーの広告記事で見つけて、思わず中身を見てしまいました。
その世界とは、タヒチの近くにあるボラボラ島のことでした。
ターコイズブルーのラグーンが素晴らしい、世界中のセレブから愛されているその島からは確かに写真で見ただけでも夢のような風景が伝わってきました。
古代ポリネシアの伝説では、神が鮮やかな絵の具を駆使し、多彩な珊瑚や魚を描いたと言われているそうです。
タヒチは、ムーの一部だったかも知れませんから、多くの興味深い神話が残っているのかも知れません。
ところで、タヒチはゴーギャンが愛したと言われていますが、実際にはどうだったのでしょうか。
彼は、一度タヒチからパリに戻り、そこにはもう自分の居場所は無くなっているのに気がついて、再びタヒチを訪れています。
そして、最後は、彼をモデルとしたとされるモームの「月と六ペンス」とは異なり、タヒチとは違う場所で最後の時を迎えています。
貧乏や病気に悩まされ続けたゴーギャンにとってタヒチは実は楽園ではなかったようです。
二度目にタヒチを訪れた彼は、自殺を決意し、晩年に「われわれはどこから来たのか われわれは何者なのか われわれはどこへ行くのか」を仕上げます。
自殺は未遂に終わりましたが、しばらくして彼は苦悩の中で波乱の人生を終えました。
僕は芸術には何の造詣もありませんが、彼が晩年に人という霊的生命体が何処から来て、何処へ行くのか、そしてそもそも何者なのかについて思いが行きついたということだけには興味を覚えます。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 、霊を知るために 、弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。
神が描いた世界とはどんなものなのでしょうか。
ゴーギャンは楽園に行きながら、そこで「月(夢)」と「六ペンス(現実)」の違いをさまざまと見せつけられたのかも知れません。
いずれにしても、地上での至上の美も幽質界でのそれとは比べものにならないようです。
そもそも幽質界は意識の世界ですから、どんな美しい風景も見ることが出来るようです。
そして、それとは比較にならないほど素晴らしい世界が霊質界ですから、所詮、肉の脳が認識する風景などそれだけのものなのです。
だから、神が描いたと言われる風景の中で、ゴーギャンは思ったのでしょう。
「われわれはどこから来たのか われわれは何者なのか われわれはどこへ行くのか」
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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