世界自然遺産登録を断念した富士山ですが、今度は世界文化遺産を目指して推薦書原案が文化庁に提出されたようです。
文化遺産の場合は、宗教的な意義も検討されるようです。
富士山は平安時代の後期から修験道の道場になり、その後登拝する山として一般的になったようです。
江戸時代には「富士講」が盛んになり、今も続いているようです。
地元では世界文化遺産に登録されることにより、日本の象徴と言うべき富士山により多くの外国人の方々が来てくれるのではないかと期待されているようです。
霊魂学的には、富士山は神霊の力を降ろすためのアンテナであり、その役目が果たせなければ単なる物質の山に過ぎません。
過去において、富士山はどんどん人々の低い気で包まれていっていたのですが、富士の麓には某宗教集団の施設があったこともあり、事件後には更に多くの人々の念により決定的に穢れてしまいました。
そのままではアンテナとしての役目が果たせなくなるために、違う山をアンテナとすることにしたのですが、今も何とか本来の役目を果たすべくギリギリ霊的な状態が保たれています。
最近は、世界自然遺産や世界文化遺産に登録されることを推進する運動が注目を集めていますが、富士山に関しては、個人的には残念な気持ちでいます。
より観光化が進んだり、世界的に注目されると霊的には更に状況が悪くなるからです。
富士山のゴミが問題になっているようですが、物理的なゴミではなく霊的なゴミと言うべき低い気によって、復活出来ないほど汚れてしまう可能性が高まるからです。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 、霊を知るために 、弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。
富士山の世界文化遺産登録の動きは、地上の人々の自由意思の象徴的なことのように感じてなりません。
いよいよ富士の神霊の御力が地上に降りなくなってしまうのでしょうか。
富士のご眷属の方々は今も必死に活動をされているはずです。
神人文明の気が残る日本の最後の小さな灯すら消してしまおうとするのが人類の自由意思の意向だとすれば・・・・・。
今更ながら、とてもやりきれない思いでいます。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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