412th  良い人 悪い人 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

神戸は、雨もそれほど降らず、台風の影響はほとんどありませんでした。

被害の大きかった地域の方々にはお見舞い申し上げます。


ところで、対人関係において、人は、この人は良い人だ、或いは悪い人だと判断します。

それでは、良い人とはどんな人で悪い人とはどんな人なのでしょうか。

多くの人が良い人と言えば良い人で、悪い人と言えば悪い人なのでしょうか。

どうも違うようです。

地上の価値感で良いとされることも悪いとされることも、時代や地域や環境によって異なるからです。

もちろん、先進国では、法律が機能していますから、法律を犯す人は悪い人という一定の基準はあるかも知れませんが、その程度はさまざまです。

会ったことも話したことも無い人に対する評価というのは、かなり適当なものなので、対人関係においてという範疇には入りません。

結局、どのような基準があるかというと、自分の都合において良いと思う人が良い人で悪いと思う人が悪い人だということになります。


とても理屈っぽくなってしまって申し訳ありませんが、申し上げたいのは、常に人には自分の都合というのがあって、自分の都合と言うのは自分自身に関わることだということです。

家族も親しい人も、自分と密接な関係があり、自分に対する影響が大きいから重要なのです。

良い人というのは、自分の何らかの都合で良いと判断される人です。

このように、人は地上では、まずは自分の都合であらゆることを判断することが多いのです。

そして、それは、致し方ないことだと思います。

僕自身も自分の都合で生きているわけです。

更に自分の都合で良いと思われる人と関わりを持とうとしているわけなのです。

重要なことは、その事実をきちんと受け止めて、そこを出発点にして考えることだと思います。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


人という霊的生命体の本質の一部を受け止めて、だからこそ少しでも改善しようと努力することが、日々の生活における修行で重要な部分のようです。

どんな高貴な存在が自己犠牲で地上に生まれても、肉を着た以上、肉の維持や幽体の自己保存の欲求によって、自分の都合で生きるようになってしまうようです。

自らの霊的レベルを著しく落し、何とか人類の役に立ちたいと、言わば地上の価値感で考えれば、死ぬことよりも辛いことを選択して、無理矢理地上に降りたとしても、肉を着てしまえば、基本的には霊的カルマの解消のために再生された霊魂と同じスタートラインに立ってしまうのです。

霊的に目覚めるチャンスがあっても、或いは一度目覚めたとしても、地上の生活に染まってしまって、身動きが出来なくなって、最後はミイラ取りがミイラになって、下層幽界や地獄へ落ちていくことが少なくないのです。


霊的に目覚めるということは、簡単なことではありません。

地上で生きる以上地上の価値感を無視して生きることは出来ませんので、それをバランス良く考えながら、霊的進歩向上を図るのですから、容易なことではないのです。

だからこそ、何回も何十回も同じ過ちを繰り返して、再生しているのです。

或いは、地獄へ落ちてしまって、他の霊魂を地獄へ引きずり落してやろうと活動しているのです。


それほど難しいのですが、それでも人という霊的生命体は、地上において霊的に目覚めなければならないのです。

それしか、救われる方法がないからです。

負の連鎖を抜け出す、唯一の方法だからです。

今起きている地上での大きな変化は、目覚めのきっかけとなるラストチャンスなのかも知れません。


求めよされば与えられん。信じよさらば救われん。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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