390th  関白 豊臣秀吉 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

お百姓さんから関白にまでなり、日本史上最大の出世をしたと言われている豊臣秀吉ですが、晩年についてはさまざまな批判があります。
天下統一を果たしたあたりから、歴史的な評価は芳しくないようですが、彼の霊的な意味での一生というのはどうだったのでしょうか。
その結果については、僕などが知る由もありませんが、茶々との最初の子供である鶴松が発病した際は、京都中の神社仏閣に加持祈祷をさせたようですから、想像するに戦いに挑む時や苦しい時の神頼みだったような気がします。
想像通りだとすると、霊的なトレーニングをすることなく、多くの血を流し、妬みと憎悪の念を数多く受けていたのですから、幽体など霊的な状態が良かったとは思えません。

常に戦争で、武家だけでなく、他の身分の人々も生活が安定せず、悲しみの念が溢れていたであろう戦国時代を終わらせたという意味で、為政者としては歴史的に評価をされているのですが、それはあくまでも地上の価値感であって、ほんの短い地上での一生よりもその後の幽質界での生活の方が僕には興味があります。

また、地上での生活も、鶴松の死後、秀頼には恵まれるものの朝鮮との戦争には失敗しますし、死期が近づくほど豊臣家の行く末が心配で不安だらけ中で亡くなったと思われます。

信長が果たせなかった天下統一を果たし、地上の価値感で手に入らぬものはないというほどの生活をしながらも、結局、地上における価値感の幸せすら手に入れることが出来ず、本来の世界に旅立って行ったのではないかと思います。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


秀吉に限らず、織田信長や徳川家康という大きな権力を握った人達は、死後、幽質界に入って何を思ったのでしょうか。

物質界と幽質界の価値感に愕然としたのでしょうか。

或いは、幽質界の価値感を受け入れることが出来ず、神を恨み、どんどん落ちて行ったのかも知れません。

僕には知る由もありませんが、一つだけ分かることがあります。

地上での価値感による幸せなど本当の幸せではなかったという事実だけはいやがうえにも思い知らされてしまわれたのではないでしょうか。

自らが神になろうとした織田信長。

呪いの術を駆使した徳川家康。

晩年、家を残すために残虐性を示した豊臣秀吉。

彼らは今何処に。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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