食用の牛は出荷される時にそのことが分かり涙を流すという話を聞いたことがあります。真偽のほどは知りませんが、涙はともかくとして、何となく察すると言うことはあるのかも知れません。
我が家には、三匹のミニュチュアシュナウザーがいますが、それぞれに個性があり、常に感情を表に出しています。
犬の知能は人間の2~3歳程度だという説がありますが、あながち間違いではないように思います。
家の中にいる時は常に行動を一緒にしていますから、言葉のやり取りはありませんが、かなり細かいコミュニケーションは出来ています。
霊的生命体としての人は、龍や天狗とともに非常に知的レベルが高いと霊魂学では言われています。
本来物質界の存在ではない人という霊的生命体が地上に降りるとなった時に、地上の生命体は用意されたようです。
時間的な推移は知りませんが、どうも動物も植物も人のために存在しているようです。
従って、人と動物の関係については、実は大変深い話があるのですが、残念ながらブログでは書くことが出来ません。
ところで、人は動物なのでしょうか。
生物的な見地で申し上げているのではありません。
霊魂学的にです。
うちの三匹を見ていると、食べることと寝ることが基本になっています。
犬は眠りが浅いですから成犬になっても、16時間以上寝るようです。
正に食べることと寝ることのために生きています。
あとは、お互いに遊んだり、僕や妻に甘えたりするだけです。
地上の人間として羨ましいのは労働をしなくても良いことです。
食べて寝るだけの生活は羨望の的です。
但し、その生命を飼い主の都合に全て委ねられていますから、いつ食べることが出来なくなるか分かりません。
本能的にその不安はあるようで、何か不安を感じると非常に敏感に反応します。
犬の生活も楽ではないようです。
人も犬もそれぞれ苦労はあるようですが、いずれにしても生きていてやっていることは、食べることと寝ることです。
他に少し楽しみがあります。
しかし、楽しみは永続しません。
人の幸せは地上ではあくまでも主観的なものですから、それに慣れるとすぐに幸せではなくなってしまうのです。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 、霊を知るために 、弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。
僕は人の生活と犬の生活の根本的な違いが見つけられません。
確かに、知的レベルの高い生命体である人間は、地上を支配しようとして、文明を発展させてきました。
ところが、今ではその文明に自分自身が支配されようとしています。
どのような便利なものも、1回の天災で使い物にならなくなるからです。
しかし、人が動物として生きるのであれば、結局は、食べて寝るだけです。
そして、飼い犬と違ってそれを可能にするために働かなければならないのです。
食べるためと寝るためになぜ労働をしなければならないかと馬鹿馬鹿しくなるばかりです。
それだけの人生だとすると、良い飼い主に恵まれた犬の一生の方が幸せだと思ってしまいます。
人という霊的生命体は、地上において霊的に目覚め、霊的進歩向上を目指さなければ、動物だと言われてもしょうがないでしょう。
人間以外の動物との違いが見つけられないからです。
人は地上では動物の体を着ていますが、本来、動物ではありません。
動物ではないからこそ、毎日他の生命体の命を奪い、それを糧として生きているのです。
単に、100年足らずの肉体の維持のためだけに、他の生命体を犠牲にするのであれば、おまえ自身が犠牲になれよと言われてしまうかも知れません。
人権があるんだとあなたは言うでしょう。
しかし、あなたは日本に住んでいるからそんなことが言えるのです。
人権は人が地上でより快適に生きるために勝手に作った概念に過ぎません。
実際に、日本と同程度の人権が認められている国など数えるほどしかなく、むしろ、人権など有名無実で、蟻やハエ同然に簡単に命を奪われてしまう国に住んでいる人の方が圧倒的に多数なのです。
今、この瞬間にも世界のどこかで人権など完全に無視されて命を奪われている方がいらっしゃるのです。
人という霊的生命体は、都合によっては、人と動物を区別することがないようです。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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