379th  運 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

人はいつも運が良いとか悪いとか言います。

あの時、あの人と出会うことが出来たからこそ、今の私がありますとか、あの時たまたまあそこに行ったことが自分の運命を180度変えましたとか、その手の出世話は尽きません。

しかし、ほとんどの方にとっての運の良さとはもっとささやかなもので、運が悪かったという話の方が多いように感じます。

特に、悲惨なのは、強い志で何かを目指したのに、いろいろなことが重なり、果たせなかった時に、運が悪かったと自分の人生を呪ってしまうことです。

それは、新たなる霊的カルマになってしまうこともあるでしょう。


当たり前のことながら、人は肉の維持のためにどうしても自己中心的に生きるしかない部分がありますし、そのために判断の基準は自分の都合が最優先されることがほとんどです。

自分の都合がうまくいけば運が良いのであり、うまくいかなければ運が悪いという話になるのです。

ところが、物質界での肉の都合と霊的な意味は異なっています。

何度も書いていますが、別に出世することや金持ちになること自体が霊的な進歩向上の妨げになることはありませんが、そのことによって霊的に目覚めるチャンスがとても小さくなる可能性が高いということも事実です。

人は現状に満足しているとどうしても霊的なことに興味を持たないという傾向があるからです。


再生する必要性がないような魂が、強い希望によって無理矢理地上に生まれると通常よりもひどい苦悩を持つことが多いようです。

やはり、苦悩が多いければ多いほど、霊的に目覚めやすいという傾向があるようです。

物質界で満足してしまうとどうしても唯物論になりやすいのでしょう。

だから、運が良いか悪いかの地上の人間の価値判断は、逆になっていることがあります。

地上の価値感における不運続きが、実はそれだけ霊魂を知るチャンスが多いことにつながっていて、結果的に霊的に目覚めることが出来れば、大変な幸運をつかんだということになるのです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


霊魂を信じない人にとっては、何が幸運だと鼻で笑われる話でしょうが、あの世が本当にあり、霊魂学が事実を語っているとしたら、鼻で笑う方の不幸ははかりしれないものとなります。

それこそ、不幸のどん底とということになります。


幽体には過去世の経験が染み付いていて、そこにはさまざまな霊的カルマが潜在しています。

その霊的カルマの表れによって、人は多くの苦悩を味わいます。

何十回と繰り返している負の連鎖をまた今世で繰り返してしまうのです。

しかし、一つの霊的カルマが衝動として表れ、大きな不幸が訪れた時に、その人は霊的に目覚めるチャンスを掴むことができるかも知れません。

霊的カルマは霊的に見ても不幸なものですが、それが表面化した時こそ、逆に本物の幸せを掴む大チャンスが訪れるのかも知れません。


物質界の表面的な運不運など、地上の人間が己の都合を評価基準にして、勝手に決めていることに過ぎません。

自由意思がある以上、地上の不運を本当の幸せに変えられるかどうかはあなた自身にかかっていますが。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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