374th  怪談 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

初夏になり、そろそろテレビなどで怪談特集が始まるでしょう。

怪談だけで生活しているようなタレントもおられるほど、この手の話は、夏になると必ず安定的な視聴率が取れるようです。

唯物論者や無神論者がこれほど多いにも関わらず、このような番組の人気が衰えないのはある意味不思議だと言えます。

人は見世物的なものは何でも大好きなようです。


ところで、人という霊的生命体は、肉の身体と幽の身体が重なっていますが、それは何度も書いているように、半物質半幽質と言っても良い間気というものがあって、二つの身体を接着させているからです。

物質と幽質という質量が全く異なるものをくっつかせるには、双方の性質をもった何が必要となるのです。

この間気こそ、世間でエクトプラズムと言われているもので、体外に出ると物質的な性質が強くなるので、視覚で捉えることが出来るようになるのです。


人が何らかの霊的不調により、この間気が外に漏れるようになると未熟な霊魂や邪霊の格好の餌食になります。

漏れて物質化している間気を使って、例えば粘土ざいくのように人の顔を作れば、それが地上の人にも見えるようになります。

面白いことに間気というのは、他人のものよりも自分のものの方が見えやすいようで、一人の人がその間気で作った顔が見えても、もう一人の人は見えないということが起きるようで、ますます怪談が怪談っぽくなるようです。

しかも、間気の量が少ないと完全な顔の形を作れず、崩れたような顔になるので、ますます幽霊っぽい顔となり、怪談は更に真実味を増すのです。

いずれにしても、間気が物質化すれば、かなり大きな音を出したり、机ぐらいであれば持ち上げることも出来るようですので、テレビでやっている怪談というのはある意味本当の話ではあるのです。

ただ、その現象が起きている理由については、霊能力者とか霊感が強いという方が作り話をしていたり、関与している自称守護霊や天使と言った未熟な霊魂が伝えていることを話しているだけなので、本当の話と言うのは極めて少ないようです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


先日亡くなられたインドの聖人と言われる方は物質化現象で世界的に有名になりました。

手品だという話もあれば本当だという話もありますが、その真偽は霊的にはあまり意味がありません。

間気が物質化すれば、かなりいろいろなことが出来るので、本当の場合もあるでしょうが、それによって霊的進歩向上につながる何かが得られるわけではないので、それがどうしたという話なのです。

もちろん、もし仮にそれが本物だと証明されれば、今よりも唯物論者が減り、霊的なことに興味を持つ方が増えるかも知れませんが、そのような現象によって霊的なことに興味を持った方々のほとんどは、自分も同じような現象を起こしたいとは思っても、霊的真実を求めて進歩向上するよう努力しようとは思わないのです。

実際に、過去の超能力ブームなどでは、そのブームが裏目に出て、霊的なことに興味を持ちながら、逆に霊的退化する人や未熟な霊魂や邪霊に弄ばれるが増えてしまったのです。

だから、例え、今地上にキリストがおられたとしても、地上の人々に受けるような奇跡を見せて、霊的なことに興味を持つよう導くことは絶対にないのです。


地上の大きな流れがどんどん退化に向かっているために、地上の人々が興味を持つことや喜ぶことは、残念ながら霊的にはマイナスとなることがほとんどです。

そして、それこそが1万年以上かけて人類が示した自由意思の結果なのです。

だから、人類の巨大な霊的カルマは、自然の力によって何らかの形で解消され始めているのでしょう。

人々のさまざまな苦しみが予想されている真夏がもう目の前までやってきました。


結局、神伝の法しか真の意味で救われる方法はありません。


求めよさらば与えられん。信じよされば救われん。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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