375th  酒呑童子 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

大江山の鬼として知られる酒呑童子ですが、その伝説は諸説があり、謎に包まれています。

恐らく、何かモデルになるような人物が実在していて、それが霊的感性が鋭い人々によって語られ、いつかさまざまな伝説として残ったのでしょう。

霊魂学において酒呑童子が語られたのを僕は一度も見たことも聞いたこともありませんが、鬼についてはいくつか記載があるので、この伝説には以前からとても興味があります。

酒呑童子にまつわる説話で一番有名なのは、源頼光と頼光四天王による大江山の鬼退治の話でしょう。

頼光四天王には、有名な渡辺綱や坂田金時(金太郎)がいます。

そして、源頼光自身は、あの藤原道長の側近として武家というよりも貴族的な立場でいた人でした。


有名な説話は、次のようなものです。
京都に上った酒呑童子は、茨城童子をはじめとする多くの鬼を従え、大江山を拠点として、しばしば京都に出現し、若い貴族の姫君を誘拐して側に仕えさせたり、刀で切って生のまま喰ったりして、あまりにも悪行を働くので帝の命により源頼光と頼光四天王によって討伐隊が結成されます。

頼光らは、姫君の血の酒や人肉をともに食べ安心させた上、酒盛りの最中に頼光が神より兜とともにもらった「神便鬼毒酒」という酒を酒呑童子に飲ませて体が動かなくしたうえで寝首を掻き成敗しました。

しかし、酒呑童子は首を切られた後でも頼光の兜に噛み付いていたと言われています。

頼光らは討ち取った首を京へ持ち帰ったのですが、老ノ坂で道端の地蔵尊に「不浄なものを京に持ち込むな」と忠告され、それきり首はその場から動かなくなってしまったため、一同はその地に首を埋葬したとされています。また一説では童子は死に際に今までの罪を悔い、死後は首から上に病気を持つ人々を助けることを望んだため、大明神として祀られたともいう。これが現在でも老ノ坂峠にある首塚大明神で、伝承の通り首から上の病気に霊験あらたかとされているそうです。


源頼光は、歴史的にも稀なほどの権勢を誇った藤原道長の側近だったのですから、例によって後世に道長の名声を残すためにこの物語が作られたのかも知れません。

あまりにも権勢が凄かったために影では反発も多かったはずですから、もしかしたらまだ明らかにされていない歴史的な大事件があったのかも知れません。

そのために、酒呑童子伝説とその大事件をリンクさせ、権力者にとって都合の良い物語が出来たような気がします。

そして、僕はその大事件に関係して、酒呑童子のモデルとなった人物が実在したような気がしてなりません。

それは、歴史には名が残っていない、大霊力を持つ神人か霊的な達人だったのではないかと思っています。

ちなみに酒呑童子はスサノウが倒したあの八岐大蛇と近江の国の豪族の娘の間に出来た子どもだという説話が残っています。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


いつも書いていますが、地上の人間は、今も昔も自分達の都合だけで、その時その時の善悪を決めていますから、その時代において都合の悪い存在は、鬼とされたのでしょう。

鬼退治の伝説は多いですが、本当の意味での鬼とは退治された方ではなく、退治した方だったということも多々あるように思います。


現代の日本にも酒呑童子はきっといるだろうと僕は思っています。

それは、霊的な意味でどのような存在なのでしょうか。

そして、かぐや姫と天の羽衣の天女と浦島太郎はどこにいるのでしょうか。

更に、八岐大蛇がいるのであれば、当然、スサノウが登場するはずです。


もはやそのような段階にあると言えます。

しかし、そのことを誰も知りません。

もしかしたら、決定的な瞬間がくるまでは誰も知らないままなのかも知れません。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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