人は永遠に進歩しません。
何百年、何千年、何万年たっても同じです。
必ず、人と自分を比べ、誰かを差別し、誰かを傷つけます。
なぜ自分が地上に生まれたのかを絶対に探ることはありません。
明日の暮らしをいかに良くするかの手段を求めるだけであって、なぜ自分は地上に再生されたのか、何をすべきなのか探ることは一切ありません。
心を安らかにして、一つ一つ苦難を乗り越えていっても、霊的カルマは一つも消えません。罪も一つも消えません。
病の根本というべきものを解消しないから、結局、苦しみはもっと大きな山となって、壁となって現れて、絶望していきます。
本質を解決しようとする過程で新たに現れる苦しみと単に表面意識を操って乗り越えた後に新たに現れる苦しみは全く別物です。
単に散らしただけでは病が根本的に治るはずがありません。
霊魂の歴史は何千年以上、地上での生活は百年にも満ちません。
百年足らずのかりそめの世界の価値感で全てを見ているのですから、自分自身のことすら分からず、自分の人生の意味も、存在している価値も、罪も罰も何も分かりません。
だから、全てのキリストは敗れ去りました。
人々が、たった一言「知りたい。」と言わないが為に。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 、霊を知るために 、霊魂イエス 、ムーの大神人 、弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。
神にすがる人は多くいらっしゃいますが、真実を見ようとされる方はおられません。
どのような宗教であるかはともかくとして、深い信仰心を持ち、あの世の存在と神の存在を心から信じておられる方々でさえ、祈りによって神にすがり、単なる願望や奉仕によって罪を消そうとされておられる方が多いのが残念でたまりません。
人々が見たくないのが事実であり、求めたくないの真実です。
己の都合の悪いものには、蓋をして決して見たくは無く、求めてもつかめるはずのない訳が分からない真実など意味がないので求めたくないのです。
地上の価値感は常に霊的な価値感と相容れません。
霊的な価値感は、肉の維持や肉の喜びや肉の脳による表面意識の幸せには決してつながらないからです。
しかし、答えは違っていました。
地上の価値感に縛られている人々に何が本当に正しいかなど分かるはずがありません。
だから、1万年以上前に、たった一言「知りたい。」と叫んでくれれば良かったのです。
そのたった一言さえあれば、神霊もキリストも手段を講じることが出来たのです。
しかし、人々は知りたいとは言わず、求めることもせず、ただ、地上の価値感における幸せらしきものを与えてくださいと泣き続け、いつしか神を恨み、幸せらしきものや便利を与えてくれる唯物論に心酔していったのです。
そして、己の知恵に酔いしれて、進歩どころか、退化し始めて、邪霊による地上の完全制覇を自由意思によって支持しているのです。
何十桁も違うほどの圧倒的な力の差。
それでも、神伝の法は邪霊に勝ち得ます。
神伝の法が神伝だからです。
そこにはキリストや高級眷属などの高貴な存在の力が流れるからです。
しかし、今のままではあまりにも数が少な過ぎます。
しかも、宝の持ち腐れもあれば自惚れもあります。
従って、神伝の法に本来の力が流れていない場合も少なくないでしょう。
それでも、キリストは決して諦めようとはされません。
剣を一振りされればそれで勝負は決まるのにそれをされません。
だからこそ、志ある者がキリストの下で日々求め続け、霊的な抵抗を続けながら、あなたが自由意思を行使して求め始めるのを待つしか手段がないのです。
神を求め、真剣に水をかぶるのであれば、あなた自身の罪は消え、邪霊は関与することが出来なくなり、いつしかあなた自身が真のメシア(救世主)となるのです。
求めよさらば与えられん。信じよさらば救われん。汝の神を愛せよ。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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