345th  諦めてただ感謝しなさい | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

肉に閉じ込められている幽の意識というのは、非常に自由です。

人は幼い頃、自由に空を飛びたいと思いますが、それは妄想ではありません。

本来、地上をはいつくばって生活することなど、幽の身体を持つ者にとっては、例外的とも言える状況なのですから、地上での常識に染められていない頃は、本来の感覚でそう思うのでしょう。

人の意識とはこのように大きいものなので、地上で生活していると、必ず現状に満足出来なくなってきます。

どんなに、成功しても、どれほど大きな夢を叶えても、幽の存在の時のような自由さや無限の広がりのようなものは感じられないので、必ず不満が生じてくるのです。

当然、次から次へと欲が沸いてきて、その全てが満たされるわけではないので、必ず人は不幸になります。

霊魂学云々以前の話として、地上で生きる方々はこのことだけはきちんと理解しておいて頂かないと、どんなにがんばって、どんなに夢を実現させても、逆に苦しさがどんどん膨らんでいくという負の連鎖にはまってしまいます。


そこで、諦めてただ感謝しなさいという宗教が現れるようです。

どうにもならない負の連鎖を断ち切るには、諦めることが大切だと主張されるのです。

そして、与えられた情況に感謝をしていれば、不満になることはないと仰るのでしょう。

ところが、諦めてただ感謝しても、ちっとも霊的には進歩しません。

それどころか、必ず一部の悪い人たちに好きなように操縦されてしまいます。

そこには、やはり幸せなど存在しないのです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


肉を着ている以上、肉の特性からご利益を求めたくなるのは致し方ありません。

その事実を否定することなど出来ません。

しかし、ご利益追求は、無限の欲望地獄に入り込むだけで、地上の価値感における幸せすら与えてくれません。

唯物論になれば、霊的には、退化することさえあります。

地上の人はどちらに進んでも、結局地上の価値感における幸せすら満足に味わうことが出来ないのかも知れません。

そうであれば、ご利益を求めるのではなく、死後の世界があると考える方は、地上の生活よりもはるかに長いあの世での生活を考えるべきなのではないでしょうか。

あの世を信じない方はどうしようもありません。

求めない人を救うことはキリストにも出来ません。


求めよさらば与えられん。信じよさらば救われん。汝の神を愛せよ。

結局、毎日同じことを繰り返し申し上げるしかないのです。

なぜならば、それしかないからです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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