340th  執着 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

以前にも書きましたが、地上での生活が霊的生命体としての非常に短いかりそめのものだとすると、肉体の命を軽く見ているのではと考えられる方がいらっしゃるかも知れません。

しかし、人の命が軽いわけがありません。

あの世があり、肉体の死は霊的生命体としての死を意味しないということを前提にしたとしても、人の命が軽いということはありません。

最も大切な理由は、地上に再生された目的というものがあり、それを果たさずに地上での人生を終えることは、霊的には退化を意味するとも言えるからですが、実はそれだけが理由ではありません。


人は肉の身体を着ると、肉に振り回されます。

肉の脳を使ってさまざまなことを考え、判断するから当然なのですが、肉の最優先課題は常に肉の維持にあります。

肉はせいぜい100年くらいしか維持できませんし、必ず死を迎えるのですが、そうであるからこそ、生に対する執着心にはものすごいものがあります。

肉を着たことがない存在から見れば、異常と言っても良いほどの生への執着と言えるでしょう。

この思いはどうしようもありません。

生への執着は物質的であればあるほど強いのが普通でしょう。

以前にも書いたとおり、地上の人は、肉の肉を維持したいという強い思いとすぐにでも肉を離れて自由になりたい幽の思いが常に対立していますが、唯物論者の場合は、幽の思いがかなりの部分抑え込めれていますから、その分、生への執着が強くなるのだと思います。

地上の人が、将来に対して不安になるのは、自分と自分が大切にしている家族の生活が保証されていないとか、どのような境遇になるかわからないとか、まともに生活することが出来なくなって生命の危機にすら晒されるかも知れないと思うからでしょう。

生への異常な執着があるからこそ、ありとあらゆる苦悩が生じるのです。

宗教によっては、その執着心こそをなくしなさいと説くようですが、肉を着て生きている以上、無理に執着心をなくそうとしてもなくなるものではありません。

そのようなことを言うから、命を軽く見ていると世間から誤解を受けるのだろうと思ってしまいます。


神霊の反対を押し切って地上に降りるということは、肉の身体を着るということですから、神霊は最初から人が生に対する執着によって苦悩に満ちた生活を送ることは分かっておられたはずです。

だからこそ、反対されたのでしょうが、それを押し切って人は地上に降りたのですから、最初の最初に罪を作ってしまい、その後、ずっとその罪により苦しみ続けて、再生を繰り返しているのです。

その観点から言えば、人は救われるはずがないのですが、神霊は人々の苦しみがお分かるからこそ、その生への執着が本人にとってどれほど重いものか知っておられるからこそ、人が自由意思を行使して、求めるのであれば与えよう、信じるのであれば必ず救われると仰っておられるのです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


神霊や実際に地上に降りて人類と同じ苦しみを味わいながら人類を救おうとされておられるキリストの思いは地上の人々にはほとんど届きません。

人々が神霊やキリストを無視するからです。

人々がそのような霊的状態になっていないからです。

地上で物質的にのみ生きる以上、神霊やキリストを感じることなど絶対に出来ません。

ある程度霊的に進歩向上し、神霊やキリストを感じることが出来る、神体や霊体が成長しなければ、不可能なのです。

そして、例え神体や霊体がかなり成長しても、人は最終的には肉の脳で考え、肉の目で見て、肉の耳で聞くので、神霊やキリストを感じることは容易ではありません。

神人と言えるレベルになるまでは、見ることも聞くことも出来ません。

それでも、日々霊的トレーニング を実践すれば、やがて何かを感じるようになります。

そして、その存在がなぜか実感出来るようになります。

見えなくても聞こえなくても、分かるのです。

霊魂学は実践によってのみ理解することが出来るという意味はそこにあります。

霊魂学には、地上の言葉でしか語れないという最大のネックがあります。

霊的な事実や真実を地上の言葉で表現することなどそもそも不可能だからです。

それでも、最低限の知識と最初のきっかけがどうしても必要だから、地上の言葉で表現された霊魂学が地上に示されているのです。

霊魂学は、最低限の知識を得たら、実践の段階に入らない限り、入門編で終わってしまいます。

どれほど多くのHPや書籍を読んでも、入門編からは一歩たりとも前に進むことは出来ません。


地上の人々は、なぜ自分が生への異常なほどの執着心があるのかをまず知るべきだと思います。

あるものを無理になくすなどという非現実的なことを考えるよりも、事実を事実として認識して、その上で、どのように生きるべきかを考えることのほうが大切なのです。

それを考え始めた時にこそ、人の命はその重さを更に増すのです。


求めよさらば与えられん。信じよさらば救われん。汝の神を愛せよ。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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