アダムとエバが木の実を食べて、人という霊的生命体は、地上に降り、何もかもが有限で不自由極まりない物質界で生活を始めました。
どんどん、人が降りてきて、そのうち再生された人も増えてきました。
不自由な生活は、所有という概念を生みました。
幽質界にはないものです。
人々がばらばらに所有を主張することによって、殺戮が繰り返されました。
そこで、なんとか秩序を保たなければということで、集団にボスが登場してきました。
やがて、いくつかの集団が出来ると、今度は、集団を守るという理屈で、集団同士が殺し合いを始めました。
そして、国が登場してきたのです。
国が出来ても、より多く持つ者とほとんど持てないという者の格差はどんどん広がっていきました。
その間、知性を持つ人類は、より快適な生活を求め、科学を発展させてきました。
科学の飛躍的な発展は、支配する側と支配される側の決定的な格差を生んでしまい、ついに一部の先進国と言われる国々で革命が起きました。
民主主義やら自由主義やら共産主義やらの登場です。
ところが、それでも、国と国の格差は縮まるどころか、広がるばかりで、世界中に植民地なるものが登場しました。
そのうちに、覇権争いを繰り返す大国は世界大戦を引き起こします。
その悲惨さゆえに、国際連盟なる国際機関が作られましたが、結局、敗戦国は、勝てば官軍、負ければ賊軍の理屈で、悪とされ過酷な生活を強いられることになりました。
貧窮した民衆は、民主主義なる仕組みによって、ドイツに一人の独裁者を生みました。
理想とされた民主主義とは独裁者を誕生させる土壌でもあったわけです。
その独裁者を軸に、二度目の世界大戦が起きて、遂に日本には二つの原爆が落とされました。
実は、この二つの原爆の投下からあるプログラムが始まったようですが、ここでは一切触れません。恐らく、今後も触れませんので、想像して下さい。
二度の世界大戦と核兵器という人類を滅亡させることの出来る兵器を持ってしまったことから、より平和を求める機運が高まりましたが、結局、その後も局地的な戦争は続き、現在に至っています。
今は、中東で大きな変化があり、いろいろな意味で危険な状況にあります。
日本に住んでいると情報が少ないのですが、世界中で今も戦争は行なわれており、餓死する方々の数は想像を絶するものとなっています。
比較的身近では、北朝鮮で悲惨な生活を送っておられる方々がものすごい数おられます。
地上で、肉を持って生活する以上、差別はなくなりません。
究極の理想的な政治体制と言われた共産主義が、独裁国家を、一部の特権階級による恐怖政治を生み出すことを歴史は証明してしまいました。
資本主義を軸とした民主主義は、上層階級の腐敗とズブズブの持たれ合い体質を生むことが証明されました。
一度、権力や富や名誉を持った人間は、それを守ろうと全力を尽くしますし、その権力や富を利用して、実際に守ることが出来るのです。
だから、国の内部における格差というものは絶対になくなりませんし、国と国の格差も絶対になくなりません。
残念ながら、地上の人間は肉を着ていますから、本質的な問題として平和を生み出すことは出来ないのです。
地上の価値感における愛は、高級霊魂の世界の愛とは異なることは何度も書いている通りです。
従って、地上の価値感の愛が地球を救うことはありません。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 、霊を知るために 、霊魂イエス 、ムーの大神人 、弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。
本当の平和を求めるのであれば、人々が唯物論を否定するようになるしかありません。
物質的な豊かさ自体は肉体にとって悪いことではありませんが、全て優先順位が重要になってくるのです。
例えば、日本国中の人々が、霊的に目覚め、霊魂学を学び、霊的トレーニング を実践し、定期的にトオゥ・ライ・シェイを行なうようになったとします。
肉の維持に必要な物質はなくては困りますが、まず優先されることは霊的な進歩向上ですから、地上にいながらも、価値感というものが変化してきます。
所有に対するこだわりが薄れてきますから、そこから発生する争いや憎しみや怨念は少なくなっていきます。
修行が進めば、意図することなく、少しずつですが、自分以外の人のことを考えることが出来る余裕も出てきます。
何のために生まれてきて、何のために今生きているのかということが分かってくると自然に争いが減っていって、少しずつですが、高級霊魂の仰る本当の愛も肉の脳ではなく、霊的感性で分かってきます。
地上において肉の本質を除去することは出来ませんが、そのような本質があることをしっかりと認識して、それでも、霊的進歩向上しようと努力すれば、世の中というものは、知らないうちに一変するものなのです。
その時には、今まで人類が経験することがなかった、本物の愛が登場し、本物の平和が訪れるでしょう。
何度も言いますが、予言を的中させ、右へ左へと人々を扇動する自称メシアに人類が救われるということはありません。
最初の罪を背負う、それぞれの人々が、それぞれにその罪を解消するために、霊的進歩向上を求めることのみが、人類を救うのです。
人類を救済するメシアとは、あなた自身なのです。
そこにしか救いはありません。
求めよさらば与えられん。信じよさらば救われん。
キリストが地上におられるうちに何とかしなければ。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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