ただ登ればいいのに | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

幽質界が本来の住処であり、霊的生命体である僕たち地上の人間は、目的があるからこそ再生されたのですから、どんな方でも必ず霊的に目覚めるチャンスが何回かあるようです。

関西ローカルのテレビ番組で、某著名な政治評論家が、「私は無神論者だが、今回の災害が起こって、人というのは超自然な存在、それを神と言うのかも知れないが、そのような存在に畏敬の念を抱くべきだと感じるようになった。」と仰っていました。

悩み、苦しみ、失恋、死別、或いは事故や災害など、何がきっかけになるのか分かりませんが、そのようなきっかけというものがあるようです。

その時、人はふと気がつくと目の前にそびえ立つ霊的な山に登るかどうかを考えます。

人によっては、途中で落ちるんじゃないかとか、下を見たら恐ろしくて動けなくなるんじゃないかとか、落とし穴があるんじゃないかとか、毒蛇に噛まれるんじゃないかとか、いろいろな心配をして、登る前に考え込んでしまうようです。

ところが、真実は違うところにあります。

あれこれ先のことを考えず、とにかく登ってみれば良かったという話になるようなのです。

「そんなに安易に上ってしまっては駄目だ。私のように深い知識と経験を持って慎重に進まなければ、失敗してしまう。」と下でうろうろしながら叫ぶ人がいても、無視してどんどん登ってしまえば良いようです。

結局、子供が大きくなるように、霊的な栄養をどんどん食べて、自然に霊的な身長が伸びて、霊的な体重が増えれば良いだけなのです。

そんなもの食べても良いのか、いやいやまずはその栄養について論文を書かれてから食べるべきだとごちゃごちゃ言っている人は、栄養不足で餓死してしまいます。


ただ登ればいいのに。

霊的な成長とはそのようなことのようです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


確かに霊的なことは見えないし、聞こえないし、証明が出来ないのですから、不安になるのは理解出来ます。

これまで霊的なことに免疫がない方であれば、尚更のことだと思います。

しかし、いつまでも悩んでいては、何も進みません。

霊魂学は自由意思に絶対の権限を認めているのですから、信じる気持ちがあるのであれば、どんどん歩いて行って、好きなように生きれば良いのです。

何をするのも自由です。どんな仕事をしても、どんな生活をしても、どんな物を食べても、どんな人と結婚しても、しなくても自由です。

ただ、意識が霊的進歩向上に向いていて、与えられた環境の中で最善を尽くせば良いのです。

霊的トレーニング の積み重ねが、いつしかあなたの表面意識が知らないところで、霊的に驚くような変化を与えていきます。

あの世での何千年分もの修行の成果が得られているということもあるでしょう。


あなたの守護霊や指導霊の方々は、あなたご自身よりもよく分かっておられて、あれやこれやとご苦労をされておられるでしょう。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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