キリストの一人であるシャカ師も、イエス師と同様に、地上に対して大きな力を持っておられます。
仏教が広まったからです。
しかし、日本に伝わった仏教は、もはや宗教と呼べるものではないのかも知れません。
哲学と呼ぶべきでしょう。
僕が憧れる親鸞師の活動によって、仏教は大衆のものになりましたが、今なお、寺は多くの人にとっては、お葬式とお盆とお正月以外には用事のないところとなっています。
勿論、今の日本の寺には高貴な力など降りていません。
そして、仏教は実は死後の世界を否定しているようですが、なぜか多くの家庭には仏壇があり、先祖供養が行なわれています。
キリスト教と同様に、このような状況をシャカ師が喜んでおられるということはないようです。
シャカ師は、奇跡の人ではありませんでした。
真実の人でした。
真理を説くために自らを犠牲にし、自己を落とすことによって、世界を照らそうとされました。
シャカ師が説かれたのは、今存在する仏教なる哲学ではなく、真実の道でした。
インドは貧しい国であり、飢えた人々の前で、奇跡を起こしたり、神を示しても、単なる依存者を増やすだけであるだけなため、シャカ師は、神ではなく法則を知るべきことを説かれたのです。
人々が依存することなく、日々努力し、道を求め、法を知り、本当の意味での愛を知るべきことを説いたのです。
それは、その時代のインドという国に合わせて、キリストが行なったことなのです。
従って、全てを語ってはおられません。
今、シャカ師はイエス師ら5名のキリストと協力して、富士の神霊の指導霊団と共に活動しておられます。
もしもこの瞬間に、シャカ師が人々に何かを説かれるとしたら、地上におられた時とは、全く違うことを仰るでしょう。
しかし、本質的なことはどのキリストも同じことを仰るはずです。
地上の人は、自ら努力せずに、依存してはいけないということです。
それは、結局、「求めよ」という言葉になります。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 、霊を知るために 、霊魂イエス 、ムーの大神人 、弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。
何度も書いていますが、「求めよ」とは、何か自分にとって都合の良いことを神に祈ることではありません。
やみくもに、非現実的な世界平和や愛を望むことでもありません。
ましてや、自然には自然の法則があるにも関わらず、人間にとっての自然災害が起こらないようにして下さいと神にお願いすることでもありません。
自然の法則は法則、地上の人間の意思でどうなるものでもありません。
結局、霊的進歩向上に向けて、実際に行動しなければ、求めたことにはならないのです。
至上の神の存在など、地上の人間が知りうるわけがありません。
知ったという方は、残念ながら自称云々とあの世の果ての地獄の底まで、二人三脚をされることでしょう。
しかし、やはり人々は神を求めるべきです。
至上の神は分からなくても、神と直接つながっておられる神霊は、今、地上に直接力を降ろしておられますし、神霊とは直接つながれなくても、その部下である霊質界の高級眷属、そして、更にその部下の部下の部下の部下か何か分かりませんが、地上の人間を担当されておられる守護霊とはつながることが出来ます。
例え、今霊的状況が悪くても、自由意思によって、それを改善することを望み、そのための応急処置をしてもらい、自らの意思によって、最低でも基礎行さえ行なえば、誰でも、自分の守護霊や指導霊とつながることが出来ます。
自由意思が、自分自身の守護霊や指導霊と一緒に、この終末の地上を生き抜いていくことを決めさえすれば、必ず、その思いは神霊に届きます。
求める者に対しては、必ず神霊は力を降ろして下さいます。
自由意思は絶対だからです。
神霊の猛反対を押し切って地上に降り、原罪を作り、キリストをも磔にした、そのような重い重い霊的カルマを背負っている地上の人間に対しても、本人が真剣に求めるのであれば、神霊は全てを許して力を降ろして下さるのです。
そして、最上級の神霊であられたキリストが一言、「救う。」と仰れば、その人間は救われるのです。
キリストは神霊であられながら、神の法則を無視して、肉の身体を着られました。
地上の人々の苦悩を知り、肉を着ながら神体をも成長させ、神霊の力を直接地上に降ろすことが出来る唯一の存在でいらっしゃいます。
だからこそ、地上においては神霊よりも権限を持っておられるのです。
キリストは、イエス師であり、シャカ師であり、クリシュナ師であり、ホー師であり、ヨーイ師であり、ラ・ムー師でもあります。
スサノウであり、ルシファーであり、シヴァでもあります。
そして、最後の封印を解く7でもあるのです。
20年以上前に書かれた霊魂イエス によると、シャカ師は、東南アジアの国々、すなわち、インドネシア、タイ、フィリピン、マレーシア、台湾あたりを担当されておられるようです。
これらの国々から何かが連想されませんか。
そうです。大地震です。火山の噴火が連想される国もあります。
恐らく、この国々には、今後の人類の霊的復興を担うべき、霊的指導者が誕生しているのでしょう。
霊的復興の中心となるべき日本においては、これらの国々とは比べものならないほどの数の霊的指導者が地上に誕生しているはずですが、果たして、今、このギリギリの重要な時期に何人が目覚めているのか、或いは全くいないのか・・・・・・。
いずれにしても、僕の個人的な霊的感性では、霊的復興の鍵を握る国々においては、他の国よりも先に自然の大きな動きや未曾有の出来事が起きるだろうと思っています。
なぜかについては、想像していることがあります。
この場では書けませんが、たまにはちょっとだけ書いてみましょう。
例えば、東日本が大災害に見舞われて、今、人も物も今後はお金も全て、被災地に集中しています。
もし、仮に、どんな自然現象かはともかくとして、次の瞬間に、日本の他の地域で、同規模か、それ以上の災害が起きたら、その地域はどうなるでしょうか。
更に、第三の災害が起きたら、その地域は一体どうなるでしょうか。
今、募金活動などが盛んに行なわれ、人々の善意というものが強調されています。
それは、もちろん重要なことだと思います。
被災地救援、当たり前のことです。
しかし、もし、第二、第三があるとしたら、その時は、今の状況とは、比べものにならないような悲惨なことが起きるでしょう。
不安を煽るつもりはありません。
何度も同じことを申し上げ続けていますが、僕の感覚からは、終末はまだほんの最初の部分が現れたにすぎないとしか思えません。
序の口にも至っていないでしょう。
だからこそ、経済復興も大切、支援も大切、希望を持つことも当然大切ですが、人々が霊的に目覚め、霊的進歩向上を目指さなければ、そこには本当の意味での希望の光などかけらもないのだということだけを申し上げておきます。
まだまだ、霊的目覚めの兆しさえ見えていません。
霊的修行者の多くもまだこれからのことを実感として捉えておられないようですので、当然と言えば当然なのかも知れませんが・・・・・。
人々が目覚めるのが早いか、終わるのが早いか。
時間だけが、淡々と時を刻んでいます。
いったい何が起こるのでしょうか。僕には全く分かりません。
全ては、この瞬間の人類の自由意思が決定し続けています。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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