イエス師は地上において、とても強い権限を持っておられます。
それは、イエス師が血の禊と復活によって、キリスト教という信仰を地上の人々に浸透させたからです。
しかし、残念ながら、その後キリスト教は正しい道を示すことが出来なかったというのが高貴な存在のお考えのようです。
勿論、イエス師も同じように考えておられるのでしょう。
ヨハネは水で清めることを示されました。
水での清めは高貴な存在との約束です。
キリストであるイエス師さえも、地上に誕生されたからには、水での清めを受けなければなりませんでした。
そして、イエス師が示されたのは、精霊による清めです。
神の禊の一つ前の霊の禊が示されたのです。
イエス師が、水、火、風、霊、神の全ての禊が揃う唯一の国である日本を訪れたことなどは聖書には書かれていません。
実は、ラ・ムー師が何千年も前に訪れたように、イエス師も日本を訪れ、富士の神と交流されたのです。
イエス師の死後2000年もの間、全ての禊が日本に存在することを誰も知らずにいました。
そして、現代になり、地上の師によって神の禊はこの世に出されました。
それは、封印が解かれることを意味するのでしょうか。
日本国中が、科学絶対主義、唯物論、無神論によって、神からさえも独立した技法である禊を葬り去ろうとした時に、時代は最後の歯車を動かし始めました。
禊は神をも生む技法です。禊は光であり、力であり、怒りと破壊であり、それを許す愛でもあります。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 、霊を知るために 、霊魂イエス 、ムーの大神人 、弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。
イザナギは物質界を作られました。
幽質よりも波動の荒い物質は、幽質によって簡単に壊すことが出来ます。
作れるということは、簡単に壊せるということも意味するのです。
邪霊ですら、幽質を利用して、物質に影響を与えることが出来る場合があるようです。
物質を作ったイザナギが物質を破壊することなどあくびをするよりも簡単なことでしょう。
しかし、初めから壊すと決めているものを作るはずもありません。
結局は、人々の自由意思が全てを決めるだけです。
神話も昔話も本当なのかも知れません。
しかし、個人の範疇で考えれば、個人に降りかかる事実は一つだけ、むやみやたらに怖がる必要はないと思います。
一つの事実だけが一人に起きる。
一人一人の人生なのでそれだけのことなのです。
イエス師は禊を地上に示されましたが、イエス師を教祖として崇めてきた人々は、その事実を一切知りません。
聖水も高貴な存在が霊的な力を入れていなければ、何の意味もない単なる水でしかありません。
今、この終末にイエス師は何を思われるのでしょうか。
そこには禊があり、禊だけが救いであったとしても、ご自身を崇める人々がイエス師が一番知って欲しいことを全く理解していないのです。
キリスト教徒の方々がイエス師の御心を理解してくれれば、とても多くの方々が救われるはずです。
無知は罪なり。
その罪の重さを痛感させられる瞬間が、すぐ目の前に迫っているのでしょうか。
キリスト教にとっても未曾有の出来事が起きるのかも知れません。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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