昔話の真実を肉の脳は受け入れない | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

地上の人々が言う個は個であるが、神質界において個は個の集合体です。

常に個の集合体が神です。

従って、スサノウは地上の人の感覚で言えば、一人ではありません。

個の集合体です。

キリストは6名であり、それぞれ存在しておられるけれども、恐らくスサノウとお呼びすることも出来るのでしょう。

更に、ラ・ムー師は特別な技を使われたようです。

しかし、何を地上の言葉で語ろうとも、人々が肉の脳で理解することなど到底出来ません。


霊魂とは巨大な個性の集合体であり、霊魂とはその巨大な集合体が分化したものに過ぎません。

地上の人間となれば、その霊魂のほんの一部が分化して肉に閉じ込められた状態で再生したに過ぎません。

確かに、人は内に神性を秘めています。

だからこそ、自由意思が認めれています。

しかし、やらねばならないことはたった一つでそれは霊的進歩向上をするということです。

霊魂は本来、常に神を目指して、努力し、向上し、更に進化して、霊質界に入り、更に神質界を目指さなければならないのです。

神的個性を目指さなければ霊魂に存在している意味はありません。

人の正体は、地上で表現されるような小さなほんの一部のそのまた一部なのではなく、巨大な個性の集合体です。

その自分でも分からない巨大なものを知ろうとして、それを自分の中で表現した時に、一段階進み、そこに至って初めてそれまでの自分の未熟さに気がつくものなのです。


そのためには、キリストもスサノウも禊をせよと仰います。

水浴びではなく、霊的な水をかぶれと仰います。

現代のどこかの教会なるところで、聖水などというもので何たらしても何の力も降りません。

何たらの象徴がお湯をかぶって禊だと言っても、一切力は降りません。

キリストの、スサノウの霊的な水によってのみ、契約によってのみ禊は成り立つのです。

神霊との契約の水であるからこそ、霊的な力が降りるのです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


肉の脳で、明日の経済的復興を叫んでも、肉の脳で今起きている現象を語ってみても、絶対に真理には到達出来ません。

己の最も縮小されたちっぽけな存在が肉に入り、己の正体すら知らずに、肉に振り回されて、肉のみを優先し、また同じ霊的カルマに苦しみあえぎ、本来の身体である幽体をズタボロのどうしようもないものに損傷劣化させ、邪霊の関与を大歓迎し、唯物論、無神論を謳歌して、短い地上での生活を終えると、想像すらしなかった地獄へと落ちて行っているのです。

生き残ることが重要なのではなく、どう生きるかが問題なのです。

霊的に生きることを考え、努力するからこそ、生き残らなければならないのです。


人々が救われるはずがありません。

口では救われたいと何千年も祈り続けてきたにも関わらず、実際に救いに来ましたと言われると地上の価値感と己の都合には合わないということで、キリストだろうがスサノウだろうが、サタン呼ばわりして、最後には磔にするのです。

いったいどこに救いがあるのでしょうか。


人は、完全にはなれません。

それは自覚すべきです。

しかし、完全を目指し、神を目指すべきです。


いずれ、近いうちに月の神が世に示されるのでしょう。

かぐや姫が多くの羽衣の姫を連れて地上に戻る時、玉手箱が開かれるのかも知れません。

スサノウは海を正義とされるのか、山を尊しとされるのか、その結果を知る時がやがて訪れるのでしょう。

全て人々の自由意思にかかっていますが、もう本当に時間はありません。


神伝の法は、既に地上に示されています。

それを選択するのか、しないのか。

地上には時間が存在します。

淡々とブログラムは進んでいきます。

選ぶのは他の誰でもありません。

あなた自身です。


私が申し上げることは一つだけ。

神伝禊法、神伝鎮魂法、トオゥ・ライ・シェイ。

人類が救われる方法は他にはありません。


求めよ。理性を保て。最善を尽くせ。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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