天動説 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

天動説の定義を専門的にしようとすると諸説があって難しくなりますので、要するに地球が宇宙の中心で、その周りを太陽やさまざまな星が回っているという考えだとしておきましょう。

なぜ、天動説なるものが出来たかと言えば、理由は簡単で、地上の人間は己の住処である地球を中心にしかものを見ていなかったということです。

霊魂学を学ぶ上で、一番大切な感覚は、人は、人の世界の価値感でしかものを見ないという事実を本当の意味で知るということです。

実際に、個人は個人の価値感でしか物事を判断することが出来ません。

従って、当然ながら、自分が今住んでいる地上の価値感でしか物事を見ることが出来ないのです。


このようなブログを書いていて、最も的外れだと感じてしまうご質問は、地上と幽質界、あるいは霊質界、さらには神質界では、法則が全く異なっており、価値感など当然、全く違うということを前提として、霊魂学の説明をしているにも関わらず、地上の価値感を持ち込んでおられるというものです。

そもそも、「地上での命」というものに対する価値感が根本的に違うのですから、そこに地上の価値感を持ち込んで、高級なのかとか、おかしいとか、つじつまが合わないと言われても、議論が土俵に乗らないために、全て不毛になってしまいます。

霊魂学についてのご質問であれば、霊魂学を前提にして頂かなければ、お答えのしようがありません。

だからこそ、冒頭のメッセージの内容を書き換えて、ご質問は、霊魂学の基礎的なことをご理解して頂いた上でお願いしますとさせてもらったのです。

地上の価値感、あるいはご自身の信じる宗教観や価値感という尺度で霊魂学をご覧になる方は、無視して下さい。

そして、ご自身の自由意思を行使して、己の正しいと思う道を歩んで頂ければと存じます。


僕は、僕の自由意思を行使し、日本では憲法で表現の自由や信仰の自由が認められていることもあるのですから、このようなブログを毎日更新させて頂くだけのことです。

何度も申し上げますが、霊魂学の学徒は、何でもかんでも良いから信者を増やそうという考えは全く持っておりませんので、全ての人に愛をとか、全ての人を救うだとか、全ての人を受け入れるとか、そのような話にはなりません。

議論をふっかけられても意味がないので、僕は無視します。

そもそも、僕の個人的な感覚で申し上げれば、人を救いますなどと正面切って言えるのは、非常に傲慢な証だと思います。

神人であればともかく、幽質界で霊的カルマを解消し切れずに、うろうろと地上に再生されたような僕が人様を救うなどとは口が裂けても言えませんし、そこに大我がなんとかとか、利他的になるのが高級だとか、偉い方、聖人の考えを押しつけられても、さっぱり訳が分かりません。

僕は、愚かなる地上の人間であり、その愚かさゆえに、何とか霊的に進歩向上したいと願い、その方法としての神伝の法に出会うことが出来、その瞬間に自分が生まれた意味はこれしかないと思っただけです。

だから、今こうして霊魂学の学徒として、己が理解した範囲で、自分と同じような人が他にもいるかもしれないと思って情報を発信し続けているだけなのです。

他人様を救おうとか、自分を犠牲にして、例えば自分が食べる物や住む場所を他人に提供して、自分は死んでも構わないとか、そんな立派な考えなど微塵も持っていません。

しかし、反対派の方にとっては残念な話でしょうが、霊魂学は間違いなく真実に至る唯一の方法だと思っていますし、道半ばの霊的修行者の拙い霊的感性はそれが正しいことを日々感じさせてくれています。

普通の人間である僕は、被災者の方々のインタビューを聞いていれば、涙が出てきますし、なぜこんな惨いことになったのだろうとも思いますが、それと霊魂学の学徒であることは別です。

春がない冬はないとか、夜明け前が一番暗いとか、明日に、未来に、希望を持つことは悪いことではありませんが、それが、単に経済的な復興を目指すものであれば、日本に明日はない、人類に明日はないと申し上げているのです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


とにかく、霊魂イエスムーの大神人 を読んで下さい。

神質界があって、次に霊質界が出来て、次に幽質界が出来て、その後に、霊魂達のわがままにより、人類は不自由さを求めて物質界にまで降りてしまったという事実を知ることが出来ます。

それが全ての苦しみの原因であり、その苦しみの歴史の中で、今度は、幽質界に元々はありもしなかった下層幽界を作り出し、更に地獄と言えるような世界まで作ってしまったのです。

そうして、本来、霊魂達が物質界に降りなければ存在するはずのない、邪霊たちによって、物質界である地上はほぼ制圧され、神霊やキリストや高級霊魂が地上に関与することが不可能になりつつある、この状態が終末であり、その現象の一つとして、今回の大震災や大津波や原発事故があるに過ぎないのです。

そして、今地上にいる全ての人々は、最初に地上に降りて、最初の罪を作った霊魂たちの生まれ変わりなのです。

地上が全てであれば、命よりも尊いものはありません。

しかし、幽質界が普通の世界であり、霊的カルマの解消のために地上に再生しているのであれば、死そのものが怖いのではなく、霊的カルマを解消しないで死ぬことが最も怖いのです。

更に、地上が邪霊の天下になっていることによって、幽体がズタボロの状態で他界してしまうために、下層幽界や地獄に落ちてしまって、地上とは比べものにならないほどの苦痛を永遠とも言える状況で味わい尽くしているという事実が恐ろしいのです。

あの世があるとすれば、地上の人間の価値感など、天動説のようなもので、肉の欲求により、自分中心に、自分の都合で作られたものであり、それとは全く違う事実があり、真実があり、法則があるとすれば、一切通用しないのです。

大自然の前では、それが通用しないと知った時、地上の人は、真実を求め、真実を知ろうとはせずに、自由意思とその知性を駆使して、科学文明を発達させるという更なる苦しみを生み出す方向に歩み続けたのです。

そして今、その科学なるものが神をも超えると思い始めたこの瞬間に、人類は終末を迎えたのです。

当然と言えば、当然。

神霊が救おうとされて、神の法則まで破って、何度も地上に降りられたにも関わらず、人類は、イエス師を磔にしました。

今、目の前にキリストが立っておられても、キリストが人間として語っておられても、一切気がつかず、無視するわけですから、救いなどあるはずがありません。

実は、人類の歴史とは単にそれだけのシンプルな話なのです。

出来もしない不老不死を求めたどこかの大馬鹿が広大な土地を一代にして治めたとか、呪いの術が大好きなどっかのおっさんが江戸なる場所に幕府を開いて何百年かの平和をもたらしたとか、本当は優れた霊媒の別称であり、複数存在した卑弥呼なるものが一人で邪馬台国を治めたとか、それがどこにあるかとか、そんなことは人という霊的生命体にとってはどうでもよい話なのです。

何千年と続けた馬鹿馬鹿しい負の連鎖の終わりに、ギリギリのところで、地上の人が霊的に目覚めることが出来るのか、出来ないのか、それしか人類にとって大切なことはありません。


あなたを中心に世の中が回っていないように、地上の人間を中心に、霊魂の世界が存在するわけではないのです。

地上が中心だと思い込んでおられる方にはもはや何も申し上げることはありません。


無知は罪なり。

大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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