最善を尽くせ | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

高貴な存在は、「地上の人間は当然ながら完全ではないので、ミスもあれば間違いもある、だからこそ、その不完全さをきちんと意識し反省して、より良くなるように努力することが大切だ。」と仰います。

そして、「その時、その時に最善を尽くせば良い。」と仰います。


特に霊的修行者にとっては、最善を尽くせというのは、簡単なようで非常に難しい課題です。

人それぞれが、それぞれの事情において頑張っているのでしょうが、その頑張りは、最善を尽くしていると言えるのかと、自分自身に問うてみても、答えは分からないからです。

もちろん、霊的修行者の場合は、守護霊や指導霊、場合によってはその上の高貴な存在がご覧になって、「最善を尽くしているな。」とか「まだまだだな。」とかお感じになっておられるのでしょうが、残念ながらその評価を知ることは非常に難しいと言えます。

僕も、毎日、最善を尽くしているのだろうかと自分自身に問いかけるのですが、その答えは分かりません。

従って、暗中模索、試行錯誤でとにかく進んでいくしかないのだと思っています。

そして、一つ階段を上ると、一つ下のことが見えるという感じになるのでしょう。


ここで重要なことは、霊的に進歩向上しようという意思があるのであれば(自由意思ですからなければ関係ありません。)、何か行動を起こさなければならないということです。

行動しなければ失敗することもありませんが、失敗をしなければ、絶対に成長はしません。

失敗して、ミスして、ボロボロになって、そして反省し、今度はこうしてみよう、ああしてみようとチャレンジするからこそ進歩することが出来るのです。

このような部分に関しては、地上での受験や仕事と同じことが言えるようです。

まず勉強してみなければ、何が分かっていて何が分かっていないのか、何が出来ていて何が出来ていないのかという最初の一歩が始まりません。

実際に勉強をしないでおいて、勉強方法ばかり研究していて、実力がつくということなどあり得ない話です。


地上の人間である以上、地上の人間として普通に努力しなければ、何も進まないようです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


ところで、最近はメールやコメントを頂くことがかなり増えました。

真剣なご質問に対しては、出来る範囲でお返事するようにしていますが、最近はご自身で出来る範囲でホームページや本などを勉強することなく、表面上のしかもほんの一部分だけを切り取って、訳の分からないことを言ってくる方が増えました。

何度も書きますが、僕は地上で生きる普通の人間です。

僕の時間は僕が自由に使わせて頂きますし、労働や生活もしなければなりません。

そもそも、常識的に考えて、他人に何かを教えてもらうのであれば、まずは最低限の礼儀というものがあるはずです。

ネットだとどんな非礼も許されると思っておられる方がいらっしゃいますが、そんなことは通用しません。

電車に乗っていて、隣に来た人がいきなり、「お前のブログを見たけど、あそこは理屈に合わないだろう。おいどうなんだ答えてみろよ。」とあなたが言われたら、懇切丁寧に説明をしてあげますか。

そういう話です。

僕は聖人でもなければ、偉人でもなければ、ましてやあなたから生活の面倒をみてもらっているわけでもありません。

常識がある方には、出来る限りのことをしたいと思いますが、そうでないと思えば、僕自身の自由意思を行使して、一切無視します。

名前を変えてこようが何しようが、内容で決めますから同じです。


話がそれましたが、自由意思は絶対なので、実はあまり書きたくありませんが、霊魂学に関してもまずは行動ということが大切だと思っています。

霊魂学をある程度、字面で勉強していただくことは大事なことです。

基本的な知識というものはどうしても必要だからです。

ただ、ネット上で得られる情報は膨大ですので、それをご覧になったら、もう次は実践して頂きたいと思います。

何度も同じことを書いていますが、霊的トレーニング をやらずして、霊魂学を本当の意味で理解することは不可能です。

そもそも、幽質界や霊質界や神質界のことを、正確に物質界の文字や言葉で表わすことなど不可能なのです。

霊魂イエス を読んだ方はお分かりかと思います。

無理を承知の上で、そうすることに意味があるので、霊魂学というものが地上に示されているだけなのです。

しかし、それはあくまで導入部分ですから、あとは自分自身の霊的感性を磨いて、感じるしかないのです。

そして、そうなるには、ある程度の時間がかかります。

「はい、今日から1週間鎮魂法初伝をやったら、どんな念をも跳ね返す幽体になりますよとか、邪霊が近寄ることも出来ないような素晴らしいオーラが出ますよ。」などということはあり得ません。

最低でも1年間続けて、初めてかなり上達しましたねという話になるのです。

だから、掲示板などで、修行会員の方が、よく「いろいろと書き込む時間があったら、霊的トレーニング を実践して下さい。」と仰るのです。

ある程度の導入部までならともかく、それ以上のことをネットの掲示板であーだこーだとやり取りしていても全く意味がないからです。

ましてや、修行会員の方々も仕事として掲示板への書き込みをされているわけではありません。

当然ながら、自由意思があるので、いつまでも理屈だけをダラダラと述べている人に対して、付き合う義務など全くないのです。

そこが、他のご利益宗教が、何でもいいから信者の数を増やそうとするところと、霊魂学の本質的な違いなのです。

求めよさらば救われんの「求めよ」の部分は、うだうだと何もやらずに理屈を捏ねくりまわすことを意味するのではなく、行動を起こしなさい、すなわち霊魂学であれば、具体的に日々霊的トレーニング を実践しなさい、トオゥ・ライ・シェイに参加して高い力を自らの意思によって受けなさいということなのです。

そうした上で、分からないことが出てきたら支部集会で先輩に質問すれば良いのです。

実践をある程度こなさないと、字面だけで、ご自身の都合の良いように捻じ曲げて解釈される方が少なくないというのも事実です。

とにかく、最善を尽くすには、まず行動がなければ何も始まらないということです。


最後に、関係ありませんが、終末の歯車が急速に動き始めたので、ストレートに書いてしまいます。

霊的トレーニング を実践せずにいたら、霊的に進歩向上することなどほとんど出来ませんし、トオゥ・ライ・シェイに参加しなければ、自分の能力で出来る範囲でしか力は降りません。

トオゥ・ライ・シェイについて申し上げますと、一人で行なう修行と複数の人で行なう霊的技法では降りる力のレベルが桁違いに違うのです。

特に、初心者であれば、師が降ろす御力を受けることには大きな意味があります。

基礎行段階や初伝を始めたばかりであれば、トオゥ・ライ・シェイによってより引き上げてもらうということが重要になってきます。

そして、例え、それが支部集会の奥伝者によるものであっても、個人が一人でやるよりは、桁違いの力が降りるようです。

どんなに修行をして、奥伝合宿に参加しても、やはり支部集会で降りる力と同じレベルのものを自分一人で降ろすことなど通常は出来ません。

秘伝をマスターしたら知りませんが・・・・・・・・。


トオゥ・ライ・シェイという霊的技法が存在するのは、一人での修行にはやはり限界があるからなのです。

必要でないものが、神伝で地上に示されることなどないのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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