霊魂学は非常に奥が深く、本当の意味で理解をするのは容易ではありません。
そもそも霊的な事実を追求するというものですから、肉の脳で理解できるものではないのです。
しかし、それを言ってしまったらそれで終わってしまうので、文字によってほんのその一端でも知り、ヒントにしながら、霊的トレーニング の日々の実践やトオゥ・ライ・シェイによって、自らの努力で感じられるようになることが肝要なのです。
大神人であり、地上にいらっしゃりながら神体をも成長させておられたキリストも地上におられる時は、肉の脳の制約によって、霊的な事実の全てをご存知であったわけではないようですので、普通の人間が、物質界において100%を求めるのは難しいでしょう。
己の霊的感性で何かを感じ、霊的に正しい努力を続け、理性を保ちながら、最善を尽くせるようになれば、それだけで十分だといえるのかも知れません。
絶版になっており、本部の在庫も品切れになってしまったようですが、師の著書に「霊魂学を知るために」という本があります。
僕は10年ほど前に購入したので手元にあるのですが、今読んでもよく分からないところが多いというかなり内容が難しい本です。
しかし、以前は感覚的にも全く分からなかったことが、何回も読んでいるうちに少しずつ何となく分かってきたような気がするということはあります。
聖典三部作の「ムーの大神人」「霊魂イエス」は物語風に書かれているので、字面は読みやすいのですが、大変奥が深いの何度読んでも読むたびに感動します。
それらに比べて「霊魂学を知るために」は、出来る限り霊魂学をそのまま伝えようとされておられるためか、字面自体も難しくなっています。しかし、こちらも噛めば噛むほど味が出てきます。
このブログは、霊魂学に興味を持ってもらおうと契山館の非会員の方々を対象に書かせて頂いていますが、修行会員の方も読んで下さっているようです。
もし修行会員で読まれていない方がいらっしゃれば、支部集会で先輩の方に借りて、一度は読んでおいた方が良いかも知れません。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 、霊を知るために 、霊魂イエス 、ムーの大神人 、弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。
「霊魂の世界は差別界である。平等は、法則の上での平等のみである。力に応じて上へも下へも行ける。しかし、力のない者に幸福はやって来ない。そして、幸福は、主観ではなく、客観になってゆく。」
「真理は、霊魂にある。そして、霊魂を知るには、神を求めよ。神を知るには、自分の正体を求めよ。そして、それを知るには、霊魂を知るしかない。霊魂学は、そのための学である。」
「人々の勝手な価値基準でこのまま進めば、間違いなく、不幸が近づいてくるのだから、人々の基準を超えた基準で判断する何者かこそが真の救いをもたらすに違いない。
人々から、悪魔やサタンと呼ばれる者こそが、真の救主であると私は思っている。
真実の鏡に映した時、偽善者は次々に邪の正体をあばかれ、一方自らの未熟さと愚かさ、そして邪な心を自覚する者こそが、道の人として示されるからである。」
「最も愚かな魂を私は知っている。それは人々のために自らの人生を犠牲にしたイエスである。そして、何名かの大神人たちである。彼らほど愚かな魂を私は知らない。」
「七つの封印が解かれる時、善を超えた悪が世に出る、それを6名の天使が守るであろう。」
-「霊魂学を知るために」より-
あなたにもいつか必ず霊魂学を知ってもらいたい。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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