文字の奴隷 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

人が宗教的に生きようとするとどうしても、聖典や戒律というものに縛られることになります。

キリスト教の聖書が後に地上の人によって書かれたものであり、イエス師が仰ったことが全て正確に書かれているわけでもなく、十人十色の解釈があるとしても、それを絶対視して、それにしがみつきます。

なぜなのでしょうか。

それは、肉の身体を着て、肉の脳で考え、肉の目で見て、肉の耳で聞くことしか出来ないからです。

地上で肉を着ていて霊的な真実を知るということが難しいからです。

人は、己の五感を頼りに日々生活していますから、五感以外のものは信じません。

自分でコントロールすることが出来ないからです。

中には、五感以外のものを感じる方もいらっしゃいますが、それとて実は肉の脳が見ているのです。というよりも普通は、何らかの目的で霊魂が肉の脳を刺激して見せているということが多いようです。

いずれにしても、人は肉の脳からの指令のみを信じますから、それが薬物による刺激であろうと霊魂による関与であろうと、実際に見えていればそれは本当にあると感じますし、実際に聞こえてしまえばそれは本当に聞こえていると感じてしまいます。

邪霊という存在は、それを利用して、その人が神と勝手に想像しているビジュアルをその通り見せたり、神が仰るであろうと想像している通りのことをつぶやくのです。


また、話はそれましたが、そのような霊能力がない方は、偉い神父さんや高僧のありがたいお話を聞いたり、聖書や経典の解釈と日々の生活での心構えを聞いたりして、それに従おうとします。聖典の文字に縛られてしまうのです。

霊魂学 も肉の脳で読む以上文字で書かれていますが、それは、本当に必要な高貴な存在との交流のための一つのやむを得ない手段であり、一つの道標でしかありません。

人は地上にあっても高級な霊的存在と己の霊的な身体や本質であるところの魂を交流させることが出来ます。

その意味では、地上で生きるということはすごいことなのですが、残念ながらほとんどの方は肉に負けてしまっています。

また、劣悪な霊的環境の中で日々、霊的な状態を悪くしてしまっています。

結局は、霊的な進歩向上を目指し、まずは幽体を健全化するしかないのです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


霊魂学 にも聖典というべきものがありますし、師による霊言やご指導や霊査もあります。

しかし、結局、そこから何を感じ、何を考え、何をすべきかは全て本人が決めるしかありません。

自由意思を重んじる霊魂学 では、手取り足取り教えてくれることはありませんし、肉を食べるなとか酒を飲むなとかいった戒律のような制限もありません。

最も大切な霊的トレーニング の実践やトオゥ・ライ・シェイ(霊的集会)の参加も一切強制されません。

求めるのであれば、機会だけは提供しますよというスタンスです。

人間が間違えるのは当たり前なのだから、自分自身で試行錯誤を繰り返して最善を求めるしかありませんよというスタンスなのです。


自らの意思で霊的な進歩向上を目指し、自ら求めて高貴な存在と交流するしかないのです。

そこには正解など用意されていません。

なぜならば、それぞれの方の正解はそれぞれに異なっていますし、何が正解だったかは、一つ階段を上がった時にしか分かりませんし、しかもその階段はずっとずっと上の方にどこまでも続いているからです。

正解を知る方法はひとつ。


汝の神を愛せよ。

全ての人の内にある貴い光を己の意思で現すしかないのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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