肉の秘密 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

人という霊的生命体が地上で再生されると肉を着るために極めて不自由になるということは何度も書かせて頂いています。

その不自由な状況で過去世で作った霊的カルマを解消することが地上で生きる目的なのですが、実はそれだけではないものが肉にはあるようです。


このあたりが、霊的事実の非常に複雑なところで、霊魂学 を学ぶことに終わりなどあり得ないと感じさせるところでもあります。

知識は知識。感じる以外のものは、分かったつもりになっても、分かっているか分かっていないかすら判断出来ないということです。

まあ、そんなことを言っていたら何も語れませんのでこうして毎日ブログを更新させてもらっているわけですが、今日は、実は、肉には神秘的な面があるということを書こうかと思います。


幽体は非常に自由であり、ある意味自分勝手ですから、自己保存を最優先にしていますし、それが本質のようです。

幽質界で暮らす霊魂というのは、地上同様自由意思がある上に、邪霊の子分にでもならなければ、行動の制約がありません。従って、幽体というものはそのような特性があるようです。

一方、肉体は、その存在する期間が非常に短い上に、維持するのに手間ばかりかかります。地上では、肉の維持のために生きているようなところがあります。人生のかなりの期間は寝ていますし、現代人はそれ以上の時間を食べるために労働に費やしています。

霊的な真実を求めていなければ、いったい何のために生きているのか分からないというような状況です。


ところが、この点に肉の秘密があります。

なぜか、人は肉体を着ていると自分自身の奥深くに隠された高貴な何かを求めるという特性があるようです。

現代のように、唯物論が圧倒的な力を持っている時代は、人類の歴史で考えればごく短い期間と言えます。

日本においては、戦前まではそれほど唯物論が力を持っていたわけではなく、霊的に高い気が降りる神社も数多くあったようです。

目に見えない何かを敬い、求めるという気持ちを普通に持っていた時代の方が圧倒的に長いのです。

それは、幽体だけの場合と異なり、肉を着ているとなぜか己の高貴なものが存在することを意識のどこかで知っているからのようです。

もしかしたら、幽体とは全く逆に不自由ばかりの状態になるために、魂、或いは神霊とすらつながることができる何かを感じることが出来るようになるのかも知れません。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


何もかも自由だと、何かを求めるということをしなくなりやすいのかも知れません。

もちろん、幽質界でも上の方へ行けば霊的真実を求める霊魂も多く存在しますが、なぜそのような心情になるのかは僕には分かりません。

より上の存在と接触すると有無を言わさない何かを感じるのかも知れません。


現代は確かに終末と言えるかも知れませんが、逆にギリギリのところに来たがゆえに、神伝の法(霊的トレーニング )が地上に示されたとも言えるようです。

そのような状況にならないと人類が本当に目覚めるチャンスがなかったということでしょう。

最後の最後になれば、もしかしたら目覚めるかも知れないということなのだろうと僕は思っています。

肉は物質的でありながら、なぜか己の高貴なものも求める特性があり、この時代だからこそ、求める気持ちが本物であれば、それに応えてくれる神伝の法があるということです。

そして、神伝の法は、何と恐ろしいことに神霊とさえ交流出来るようになる可能性を示しているのです。

地上においては、どんなに修行を積んでも、上級幽界の守護霊や指導霊と交流できるようになるのがせいぜいのところのようです。

ところが、神伝の法を実践すれば、その上の霊質界や更に上の神の領域とも言える神質界とつながることが出来るというのですから、想像も出来ないようなことが起こり得るということです。


肉にはなぜかそれを可能とする秘密が隠されているようです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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