地上の価値感においても、自己犠牲は尊いものとされています。
霊的世界においても、自己犠牲は大切なようです。
というよりも、霊的なレベルが上がれば上がるほど、自分よりも上位の霊魂に対しては、交流するだけで言葉に出来ないような感動を味わうので、自分の為に何かをするという意識が希薄になっていくようです。
このようなことを書くと、神伝禊法や神伝鎮魂法を日々行じ、トオゥ・ライ・シェイに参加しているあんたは自己犠牲を行なっているのかと聞かれそうです。
地上の人は、物質界にいるのですから、必ず肉の身体を着ています。
神の法則に逆らって、神霊が人となられた場合であっても例外はありません。
肉を着ている以上、肉の本質から完全に離れることは出来ません。
肉の本質は、肉の維持です。
すなわち、そこにはまず自己の保存があるのですから、本当の意味での自己犠牲を行なうことなど不可能だと言えるでしょう。
隣の人が、失業して、家族全員が明日のご飯もないような状況であれば、自分や自分の家族が食べられなくても、その人達にご飯を差し上げるというのが自己犠牲です。
家がない人がいれば、自分の家を提供することが自己犠牲です。
そんなことは出来ません。
神人ともなれば、もっと大きな意味での自己犠牲を行なわれていると言えるでしょうが、普通の地上の人では無理な話です。
確かに僕は霊的修行者ですが、肉を着ている上に、その修行は道半ばです。
そのような者が自己犠牲で何かを行なっているなどと思い始めたら、もう後は真っ逆さまに落ちるしかありません。
僕は、普通の人として自己保存を第一に、極めて世俗的にこの世を生きています。
何も差し上げる物がないということで、火に飛び込んで己を焼いて差し出した兎のような自己犠牲が出来たら何と素晴らしいだろうとは思いますが、まあ、現実にはあり得ないでしょう。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 、霊を知るために 、霊魂イエス 、ムーの大神人 、弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。
いずれにしても、自己犠牲などというハイレベルな話は、中級、上級の霊的修行者が考えてみれば良いことだと思います。
霊的に目覚めてみたい、或いはこれから霊的トレーニング を始めようという方は、まずはご自身で決めたことを続けることが大切だと思います。
継続は力なりで、無理をしない範囲で、きちんと続けていけば、まずはそれで良いのです。
霊的修行にも段階があります。
日々、自分自身を見つめ、改善し、更に霊的トレーニング を行い、トオゥ・ライ・シェイに参加していれば、それだけで、一般の人とは比較にならないほど霊的に進歩向上するようです。
入門編では、まずは自分自身のことをどうするかということを考えれば良いのでしょう。そもそも自分自身を律することは大変難しいことです。
段階を踏んでいけば必ず次の課題が何なのかが見えてきます。
常に目の前にある課題を着実にこなしていけば、ふと気がついた時には、自分でも驚くほど成長しているということのようです。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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