霊的レベル | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

このブログでも、霊的レベルという言葉を使うことがありますが、その定義について正面から学んだわけではありません。

ただ、次の二つの視点で考えています。


一つは、地上以外の世界では霊的レベルははっきりしていると言えます。

レベルによって、住む世界が異なるのですから、絶対的だと言えるでしょう。

幽質界、霊質界、神質界もそれぞれが細かく段階が分かれているようですし、法則によってその世界に言わば吸い込まれていくのですから、はっきりと自分レベルを知ることが出来ます。

そして、霊的に進歩向上、或いは進化するということは、より神に近づくということを意味しますので、霊的なレベルが上がるということはまさにそういうことだと言えるでしょう。

より神から離れる霊魂が増えていて、逆に下層幽界がどんどん下に広がっていっていることは昨日書いた通りです。

霊的レベルが底なしで下がっていっている霊魂が存在するわけです。


一つは、地上の人間の霊的レベルはどのように知ることができるかという視点になりますが、これは神人と言えるような方ではないと、分からないと言っても良いでしょう。

ある程度想像することは出来るかも知れませんが、その絶対的なレベルがどの程度なのかということは、他人はもちろんのこと、本人でも分かることはないでしょう。

勿論、神伝禊法も神伝鎮魂法も秘伝を完成させれば、簡単に分かるのでしょうが、そこまで至ることは気が遠くなるほど難しいので、この際は考えないことにしましょう。

結局は、幽体や霊体がどれだけ成長しているか、霊的カルマの解消がどれだけできているか、そしてそれに応じて意識が高くなっているかということなのでしょうが、いずれにしても、やれ誰が高いだのやれ誰が低いだのという話は全く無意味です。

霊的修行者は、他人と比較するのではなく、己がどれだけ成長できているかを知る必要があると高貴な存在は仰います。

理性を保ちながら、一歩一歩修行の山を登っていくと、いつか何となく成長したなと実感できる時が来るのかも知れません。

霊的修行者にとって、うぬぼれることは勿論最悪だと言えますが、卑下してしまうことも良くないそうで、そのあたりのバランスを取ることがとても難しいと言えるでしょう。


さて、いつものようにこのブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 龍の正義 弁慶と弟子 霊魂イエス 契山館 が管理するサイトである霊を知るために などをご覧になって頂ければと存じます。


何度か書いているかも知れませんが、実は僕は自分の霊的レベルは非常に低いと思っています。

別に謙遜でも逆説でもなく、単に低いと思っていますし、僕の考え方からすれば、事実だとも思っています。

霊的レベルは他人と比較するものではないので、僕の場合は、本来己のあるべきだった姿を考え、それと比べると非常に低いと感じてしまうのです。

なぜなら、僕は、霊魂学 に出会うのが10年遅かったと思っていますし、何よりも出会った後に霊的修行者として腹がすわるまで、更に10年かかってしまったため、20年分も霊的進歩向上が遅れたと思っているからです。

遅れてしまった言い訳はいくらでも出来ますが、20年も遅れてしまったという事実は絶対に動きませんし、取り戻すことも出来ません。

しかも、地上での生活など100年もないのです。

そのうちの20年を無駄にしたというのですから、今後の僕の霊的生命体としての人生は、永久に霊的レベルが低いままでいるということなります。

ゴールはあるのかも知れませんが、そこに行き着くには想像することすらできないような時間を要すると思います。

この大切な時代に、地上に目的を持って生まれてきたはずなのに、何たることかと思いますが、覆水盆に返らずです。


人それぞれ、紆余曲折があるでしょうから、何が正解だったのかは、死後、守護霊の方に聞いてみないと分からないのでしょうが、出来ることならば、あなたには僕と同じ後悔をしてもらいたくないと思っています。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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