人の命の重さ | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

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人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

地上は有限の世界ですから、当然、人間にとっては命が一番大切だということになります。

命あっての物種です。

命は地球よりも重いと言った総理大臣もいました。


ところで、霊魂学は、地上の世界が全てではなく、死後の世界があると主張しています。死後というよりも、幽質界が人という霊的生命体の本来住む場所ですから、その意味では、幽質界が現実で、地上は夢の世界のようなものとさえ感じる方がいらっしゃるかも知れません。

となると、地上の死というものは、さなぎが成虫になるようなもので、肉体は一時的な身体であって、本来のものではないということになります。

そうなると、死というものは、地上の価値感で考えているものとは、全く違ったものだと言えるでしょう。

終わりではなく、始まりと言えるからです。

しかも、肉体を使う期間は霊的生命体としての人生から見れば、極めて短いものと言えるのです。


それでは、霊魂学 の視点では、人の命など、それほど価値が無いものなのでしょうか。

結論を申し上げれば、地上の価値感とは理由は異なりますが、やはり霊魂学 においても、人の命は大切なものだと言えます。


そもそも、このやっかいな肉の身体をまとって、地上で苦悩にまみれて生きるという意味は、霊的カルマの解消にあります。

従って、わざわざ本体から分離して、再生をしたというのに、肝心な霊的カルマの解消をしないで、死んでしまっては意味がありません。

地上の価値感による成功など何の価値もありません。

むしろ、そのために霊的カルマを解消できなかったとしたら、地上的な成功は、その人にとっては、人生最大の悪夢だったと言えるのです。

人は寿命まで生きるとしたら、その寿命が尽きるまで、霊的カルマを解消するチャンスは残されています。

80年の人生の最後の1年だけ、霊的に目覚め、霊的トレーニング を行なって亡くなった方と霊的に目覚めることなく亡くなった方とは、その後、住む世界が、まさに天と地くらいの差が出てしまうのです。


人は命ある限り、自分が生まれてきた意味を知るチャンスがあります。

だからこそ、人の命は重いのです。


さて、いつものようにこのブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 龍の正義 弁慶と弟子 霊魂イエス 契山館 が管理するサイトである霊を知るために などをご覧になって頂ければと存じます。


あらゆる人が寿命を全うするわけではありません。

事故もあれば、犯罪に巻き込まれることもあれば、国によっては戦争や紛争に巻き込まれることもあるでしょう。

亡くなる時にあまりにも恐怖を味わったり、穏やかではない死に方をすると、死後パニック状態になり、本来入るべき世界よりも下の世界に入ってしまうことがあるようです。

同じ死であっても、霊的に良い死に方と悪い死に方があるのです。

死後の世界の存在に確信があり、霊的トレーニング を行なっていれば、まず下に落ちることはないようですが、そのような方は極めて少数しかおられません。


誰もが穏やかに死の瞬間を迎えることが出来ると良いのですが。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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