身近な人の死 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

昨日の続編のような話になりますが、人は自分自身の死だけではなく、多くの身近な人の死を経験することになります。

親や兄弟、そして配偶者や子供の死です。

親友や恋人の死というものもあるでしょう。


これらの死は、人によっては大変な霊的カルマになる場合があるようです。

僕の場合は、一家無理心中で一人だけ生き残ったという壮絶な過去世がありますから、それが霊的カルマになっていたようです。

今現在解消されたかどうかは分かりませんが、最近、ご指摘を受けたことがないので、問題ない状態になっているのかも知れません。

プライバシーがあるので詳しいことは書けませんが、妻の場合は、現時点では大変大きな霊的カルマになっているようです。

前々から、感じていたことでしたが、過去世調査によって、ある霊的カルマが判明したのでなるほどと思いました。

調査を受けた時は、それほど影響が出ていないということでしたが、今後、水の禊などを行なうようになると一度、表面に浮き出てくるでしょう。

過去世において、相当な衝撃だったようですから、合宿前から激しい何かが浮き出てくるかも知れません。


今、地上で人として生きているということは、キリストのような特別な存在でない限り、何回も再生を繰り返しているはずで、それは人類誕生の時から過去世があることを意味します。

昔は、死というものがとても身近にありましたから、ほとんどの方が何らかの霊的カルマになっているように思います。

また、はっきり書いてしまえば、大昔であれば、人を殺したり、自分が殺されたりということも普通にあったでしょうから、かなり多くの方がその両方を経験しているようです。

当然、それも霊的カルマとなっている可能性が高いでしょう。


いずれにしても、死というものは、いろいろな意味で重みがあります。


さて、いつものようにこのブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 龍の正義 弁慶と弟子 霊魂イエス 契山館 が管理するサイトである霊を知るために などをご覧になって頂ければと存じます。


人という霊的生命体の正体は魂にあるようですが、その魂というものがあまりにも巨大で複雑であるため、人は自分の魂を認識することすら出来ません。

肉体の脳の表面意識など、魂に比べれば、浜辺の一粒の砂の大きさすらないというのに、地上の人間は、表面意識と心理学で言うところの潜在意識だけが全てだと思っています。

しかし、そうではないのです。

そのような存在が、本来住むのに適していない地上という物質界で暮らして、表面意識に振り回され、潜在意識の一部であるとも言える霊的カルマの衝動に対抗することが出来ず、自分でも信じられないようなことをしてしまっているのです。


それを防ぐには、日々の生活における修行と霊的トレーニング を行なうほかありません。

結局それしかないのです。


今頃、あなたの指導霊は、「やっぱりその霊的カルマにはまったか。」とつぶやいているかも知れません。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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