事実はどこまでいっても事実でしかない | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

人類の歴史を変えるような大発明をした方がいらっしゃったとします。

その方は、仕事では人類史上に残る偉業を成し遂げました。

ところが、脱税はするし、後に政治がなって汚職まみれになるし、挙句の果てに反社会勢力とつながって、陰で重大犯罪を次々と行なっていたことがある日明るみに出てしまいました。

マスコミは、その方を次々と糾弾し、史上最悪の人間だと散々報道しました。

世間では、あんな大悪人はいない、これまでに見たこともないと非難しました。


ところで、その大悪人とされた方の大発明は消えて無くなるでしょうか。

その発明を契機に更に進歩した科学や医学などが全て否定され、あらゆる物からその発明の成果は採用される無くなるのでしょうか。

その大悪人の方は、人として未熟であったか、何かが原因で精神を病んでいたか、まあ理由はともかくとして、その方を人として非難することと事実として生じた大発明は全く別物です。

事実は事実としてどこまでいっても事実でしかありません。


ある方が、何かの拍子で霊的真実を知ってしまったとします。

その方は、何とかこのことを世間に知らせようとしました。

ところが、その方は過去にとんでもない犯罪を犯していたことが判明しました。

或いは、世間に霊的真実を示そうと活動している最中に、詐欺を働いたり、違法な手段でお金を集めたりしていました。


大発明家の場合と同じように、マスコミはその方を叩くでしょう。

ところが、大発明家の時は、その発明そのものについては、事実ではないとは言いません。

それが、霊的な事柄の場合は、その主張だけで留まらず、霊的なこと全てについて否定し始めます。

しかし、残念ながら事実は事実でしかなく、仮にその宗教家に騙され財産を失った人が、その後、その人の主張したことを全て否定し、唯物論者になってしまったら、恐らく霊的には不幸な結末が待っているでしょう。

死後の世界では、法則が働くのみですから、唯物論者に相応しい幽体は、その身体に相応しい世界に吸い込まれていきます。


世間の人は、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとなってしまいます。

しかし、事実は厳然としてあり、単にそれを主張した人が人として未熟であったり、道を誤ったりしただけの話だったのです。

しかも、地上の善悪の価値感は、そのまま霊的な価値感にはなりません。全く関係がないのです。

地上の価値感がいかにはかないものかはこれまでに何十回も書かせて頂いている通りです。


さて、いつものようにこのブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 龍の正義 弁慶と弟子 霊魂イエス 契山館 が管理するサイトである霊を知るために などをご覧になって頂ければと存じます。


事実は事実。法則は法則。

地上の人間の価値感で変わるものではありません。

そして、地上の人間は、肉の身体をまとっていることによりそれを知ることはありません。

いかなる崇高で複雑な宗教理論を理解しても、倫理や道徳を駆使しても、事実を知ることは出来ません。

物質的な感覚では知ることなど出来ないのです。


結局、霊的トレーニング を積み重ねて、いつしか感じるようになるしかないのです。

うぬぼれという難攻不落の城を落とす事が出来れば、感じることが出来るようになるのではないでしょうか。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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