金持ち喧嘩せず | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

昔から金持ち喧嘩せずと言いますが、実はこのことは霊的に考えても重要な部分があるようです。


どんな仕事においても、人は儲かっている時はにこにこして、そうでない時はどうしてもピリピリしやすくなります。

お金に困ると、職場においても家庭においても、ささいないことで意見が対立し、口論になりやすくなります。

結果として、人は強い念を出し合って、場合によってはエクトプラズム(間気)を出してしまうこともあるようです。


これは、邪霊にとっては最高の状態です。

お互いに幽体をボロボロにする上に、いたずらが出来るエクトプラズムが漏れるのですから、それらの人々は最高のおもちゃになります。


人々は生活が楽になり生活に余裕が出来ると、人と争わなくなり、余裕がなくなるとちょっとしたことでも口論になりやすくなります。

その意味では、地上での物質的な生活もある程度は良くならないと、結局、邪霊などに活躍の場を与えてしまうようです。


さて、いつものようにこのブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 龍の正義 弁慶と弟子 霊魂イエス 契山館 が管理するサイトである霊を知るために などをご覧になって頂ければと存じます。


ところが、困ったことに、人には霊的カルマがあります。

霊的カルマの解消のためには、貧乏でいなければならない場合もあるのです。

悩み、苦しみというものが霊的に目覚めるきっかけになるのですから、金銭的苦労が、その人の人生にとって不可欠なことも少なからずあるようです。


だから、人の人生というのは複雑極まりなく、他人がうわべだけで判断しても正確なことは何一つ分からないのです。

他人が、ある人のことを勝手に判断して、自由意思に干渉するとほとんどの場合、間違ったことを行なってしまうとも言えるのです。


本音を言えば、僕も心の片隅には、より多くの人に、無理やりでも霊魂学 のことを理解してもらいたい、霊的トレーニング を実践して欲しいという強い願望がありますが、それは絶対にやるべきではないといつも自分を戒めています。

自由意思は、高貴な存在が霊魂の絶対的権限として認めたものであるとともに、まだまだ道半ばの霊的修行者である僕が、頼まれもしないのに他人の自由意思に干渉すれば、必ず間違いを犯すと思っているからです。


僕は、人は霊的真実を求めるために生まれてきたと固く信じていますし、それを何とか多くの人に伝えたいと毎日悶え苦しんでいますが、やれることは多くありません。

本当に残り時間が少なくなっていると感じる昨今ですが、自分は最善を尽くしているのだろうかと問い続けています。


まだまだヒントすらつかむことができないようです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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