時は流れて | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

近所で行なわれてるルミナリエが今日で終わります。

今年はまだ見に行っていませんが、もしかしたらラストの今夜、妻と一緒に見に行くかもしれません。

寄付金が集まらずに、ここ最近は開催が危ぶまれていますが、来年はどうなるのでしょうか。

ルミナリエが終わり、霊的クリスマスが終わると僕個人としては、完全に年末モードとなります。

頭では既に来年の新年の儀式のことを考えています。


ところで、今年の霊的クリスマスは、これまでと違うものを感じました。

あくまで僕個人の感覚なので他の方はどう思われたか分かりませんが、何か違っていました。

今年は、10年もかかってやっと全てにおいて霊的修行者であることを優先すると決意した年ですから、自分自身が変わっただけなのかも知れませんが、霊言の内容が、これまで僕が参加させて頂いた10回の霊的クリスマスとは違っているように思ったのです。

詳しい内容は書けませんが、いつも書いているようにいよいよ何かが大きく動いているのだなと実感した次第です。


僕のことばかり書いていてもしょうがないので、一つだけ書かせて頂きます。

それは、霊的に目覚めようとされている方々は、全てのことに優先して、霊的クリスマスに参加すべきだということです。

自由意思の権限は強大ですから、すべきだという表現は使いたくないのですが、あえて使わせて頂きます。

次の霊的クリスマスまで1年ありますが、とにかく霊魂学 に興味を持っておられる方には、参加頂ければと思います。

通常では、降りることの無い極めて高いレベルの霊気を受ければ、それだけでも見えないところで、大きな変化があると思います。

そのことによって、何かを感じる方は少なくないでしょう。


新年の儀式であれば、まだ間に合うかも知れません。


さて、いつものようにこのブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 龍の正義 弁慶と弟子 霊魂イエス 契山館 が管理するサイトである霊を知るために などをご覧になって頂ければと存じます。


霊的修行者としての僕は、来年からいろいろなことが大きく変化します。

遅すぎたとは思いますが、誰からか強制されたり、意見されたりした結果ではなく、自分自身で考え、決意するには、どうしても10年という歳月が必要だったのでしょう。

霊的修行者になってからも、地上の価値感の中でどっぷりと浸かってきましたから、その経験は今後生かされると思います。

大好きな親鸞師のようにはなれませんが、大変失礼ながらも同じような路線で歩んでいきたいと思っています。

新たな、そしてこれまでとは比較にならないくらい重い試練がいくつも待っています。

何も分かりませんが、それだけは間違いありません。

大切なことは唯ひとつ・・・・・。

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