消える苦しみと消えない苦しみ | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

僕たちが地上で使っている肉体という身体は、非常に高度に出来ています。

コンピューターのような脳があり、さまざまな臓器や血管や神経があります。とても精巧にできています。

ところが、精巧過ぎるためか非常に壊れやすいようです。

死への恐怖もあり、この壊れやすい肉の身体は、地上の人間の苦しみの根源でもあります。

飲み物や食べ物が必要であり、人生の3分の1は睡眠などで休ませていなければならないからです。


死後、使用する幽体という霊的身体はかなり壊れにくいようです。

従って、邪霊にいじめられたり、おもちゃにされたりして、死んでしまいたい程の恐怖や苦しみがあっても、死ぬことができないので、その状態が半永久的と言ってもよいほど続きます。

死ぬことも逃げることも放棄することも許されない苦しさというのは、肉の身体の記憶しかない僕たちにとっては、想像を絶するものなのでしょう。


身体が消える苦しみと消えない苦しみ。

地上も幽質界も苦しみだけが溢れているのでしょうか。


さて、いつものようにこのブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 龍の正義 弁慶と弟子 霊魂イエス 契山館 が管理するサイトである霊を知るために などをご覧になって頂ければと存じます。


幽体は、丈夫な上に、慣れれば自由自在に変化させられるので、それが楽しい人にとってはとても素晴らしい身体なようです。

つまり、幽界に言っても、苦しみや恐怖を味わうことがない世界に行けば良いだけの話でした。


実は地上においても、死後上に行けるような努力をしていれば、苦しみの質は変わります。

物質的な苦しみはなくなりはしませんが、ある程度まで修行が進めば、質は変化するようです。

個人差があるのは当然ですが、僕自身の経験や聞いた話ではそのように感じています。


本当の答えは死んでみないと分かりませんが、生きているうちに本気で霊的トレーニング を続けることにどのようなマイナスがあるのでしょうか。

もし、霊魂学 の主張が本当だったらどうするのでしょうか。


多くの人々が、叶うかどうか分からないご利益を求め、お金と時間を使ってパワースポットなるところに殺到するというのに、なぜ、霊的真実を求める人が極めて少ないのか、僕にとっては永遠の謎です。


そして、そのことは、生きている時だけでなく、死後も永遠のテーマとなるでしょう。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


ブログ村ランキングに参加させて頂いています。

1日に1回クリックして、応援して頂けるととても嬉しいです!

   

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ
にほんブログ村